TVのニュース番組は、諸悪の根源である-その1

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昨今のTVのニュース番組は、社会の木鐸(世に警告を発し、社会を正しい方向に導くという意味)の役割を捨て、諸悪の根源と化しています

 

例を落語の世界に求めます。落語の世界が伝える古きよき時代には、熊さん八っあんを諌めるご隠居が居ました。熊さん八っあんは、庶民が考える正しいと思う意見を言います。しかし、庶民の意見は、時として自分勝手な意見です。大局的観点での視野が欠落しています。そんな熊さん八っあんの意見をご隠居さんが、諌めることで、世に警告を発し、社会を正しい方向に導くことが出来ました。

 

今のTVのニュース番組は、司会者とコメンテーターと称する輩が番組の前面に出てきます。司会者は熊さん八っあんを演じていますが、問題はコメンテーターと称する輩にあります。彼等は、ご隠居の役を演じていません。むしろ司会者の意見に迎合して、熊さん八っあんの粋を出ない議論をしています。

 

  • 司会者「官公庁の支出の無駄の問題を解決しなれば、消費税増税はまかりならないです。」。
  • コメンテーター「●●省の役人の天下りのために税金100億円が無駄に使われているなんて、本当に由々しき問題です。この問題を解決しないで消費税のアップなんてどうですかねぇ・・・?」・・・

 

問題は、コメンテーターと称する人がその道の専門家でないことです。今、国の抱える国債と借入金の残高は1,000兆円に迫る勢いです。一方、税収は50兆円前後で推移しています。歳費の節約(億円単位)と歳入の問題(兆円単位)という桁の違う事柄を同じ次元で議論するから、大衆は惑わされるのです。桁違いを認識したうえで、コメンテーターが世に警告を発し、社会を正しい方向に導く必要があります。しかし、TV受けするコメンテーターには、それが出来ないのです。また、TV局は、視聴率が稼げるか否かという行動原理に立っている以上、世に警告を発し、社会を正しい方向に導くことにTV現場は注意を払っているか大いに疑問と考えます。これが、昨今のTVのニュース番組は、社会の木鐸(世に警告を発し、社会を正しい方向に導くという意味)の役割を捨ている理由で、更に、大衆を惑わすという観点から諸悪の根源と化していると考えます。

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