2014年6月アーカイブ

アベノミクス第三の矢「成長戦略」は、2014年1月20日に施行された産業競争力強化法に体現されています。産業競争力強化法は、創業期にある企業、成長期にある企業、成熟期に入った企業の成長戦略を具体的に示しています。下記の図は、経済産業省が作成した資料です。

2014「産業競争力強化法」に係る支援措置 グラフィック.jpg

拙稿「BEPS問題の概要と議論の動向」(クリックすると当該記事が読めます)が旬刊経理情報 6月1日号に掲載されました。 OECDは、多国籍企業の行き過ぎた節税対策がもたらす問題点(BEPSとは「税源浸食と利益移転」の略称)にハイライトを当て、その対策を検討中です。拙稿は、そのことに関して私見を述べています。 ご一読下さい。

4月23日にアップした「マスコミに踊らされるな!」に対して、本ブログの熱心な読者である高橋信敏氏からコメントをいただきました。このコメントは傾聴に値します。ご本人の了解の下、高橋信敏氏のコメントをご紹介いたします。

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「マスコミに踊らされるな!」を拝読致しました。マスコミの持つ国民の意識形成に与える影響力の大きさを改めて考えさせられました。一方、戦争責任をマスコミにだけ帰することは、かえって危険ではないか、社会の中でそれぞれが果たした役割から戦争責任を明確にし、その反省を進める方が良いのではないか、と思いました。この視点から幾つかコメントさせて頂きます。

(1)戦争の動機について (戦争の芽を摘むことが大切)

私たちが、戦争責任を考える際に、忘れがちな点ですが、軍部が勢力を大きくしたのは、 財閥・政商の後ろ盾があったこと、また台湾・朝鮮の植民地化、中国への侵略も財閥・政商の経済的利益追求がその動機になっていることです。明治政府は早くも1874年に台湾へ出兵し、その後は70年間にも及ぶ戦争の連続でした。これには、吉田松陰の欧米との不平等条約で失ったものは「朝鮮・満州・支那」で穴埋めすれば良いとの考えが背景にありました。政府と財閥・政商との癒着により、戦争の犠牲を国民に強いながら、一握りの財閥・政商だけが莫大な利益を懐にします。政治においては、三井財閥は政友会と、三菱財閥は民政党とそれぞれ結びつき、政党は財閥の援助を受けて選挙資金をつくり、財閥は政党を通して自らの利潤の拡大を図ることになります。小生は、現在においても、相変わらず企業・団体献金による政治の買収が行われており、グローバル企業は肥え太るが、一般国民は貧困化する状況が進行しており、戦争への危険の兆候であると見ています。

(2)マスメディアについて (マスメディアには限界がある)

マスメディアを見るときには、二つのことが大事です。ひとつは、マスメディアも個々に見れば経営体であるということ。高邁な理念があっても、赤字ではやってゆけません。売上を増やすために、多くの人に受けの良いことも書きます。また、広告収入がその財政基盤に組み込まれると、広告主の意向に沿う記事が書かれます。戦前の例で、シベリア出兵に消極的な状況を変えるため、読売新聞の経営危機に乗じて、軍部が機密費を使い、賛成の記事を書かせました。最近の例は、原発の『安全神話』創りです。電力会社は、広告料を餌に原発に反対する記事を抑え込みました。毎日新聞は電力会社側からこう言われます。「反対が天下のためになると思うのなら反対に徹すればいいではないか。広告なんてケチなことは、どうでもいいではないか」。そう言われて毎日新聞は原発の記事は慎重に扱うと約束し、原発の企画も取り止めたそうです。

もう一つは、マスメディアに対する法的制約です。戦前であれば、自由民権運動が活発化すると弾圧等に加え「新聞紙条例」と「讒謗律」で為政者批判が封じられたり、「治安維持法」により思想・信条の自由、言論・出版の自由が抑え込まれたり、さらには、「軍機保護法」「国防保安法」などにより、真実を知ることすらできなくなったという制約です。戦後でも、GHQによる検閲がありました。

以上から、小生は健全なマスメディアを育成して行くことが大切であると思う一方、既に政財界からマスメディアを介して「大本営発表」が垂れ流されている状況にあると認識して、一人ひとりが、情報を吟味し、正確に判断することが求められていると思います。そのため、先般の「特定秘密保護法」等によって取材・報道の自由、国民の知る権利が奪われてしまうようなことは、あってはならないと思っています。

(3)歴史認識について (正しい判断には、正しい歴史認識が不可欠)

次に、マスメディアの流す情報を判断する際に大事なものは、正しい歴史認識あるいは歴史観ではないか、と思います。「STAP細胞はありま~す」「200回以上作製に成功しました」小保方晴子氏の記者会見を観て、STAP細胞発見の「事実は無かった」、自己弁護のための「『ねつ造・改ざん』か否か」への論点すり替えが目的であったと小生には感じられました。ところが、歴史認識に関して、これと逆の手法を使った歴史の「ねつ造・改ざん」が横行しています。

つまり、歴史上の事実を「事実は無かった」とするもので、櫻井よし子氏の「従軍慰安婦問題は無かった」、百田尚樹氏の「南京大虐殺は無かった」などです。従軍慰安婦に日本軍が直接・間接に関与したこと、慰安婦が強制的な奴隷状態に置かれたことなどは明らかです。また、南京大虐殺も当時海外でも報道され、南京駐在外交官の本国への詳細報告が東京裁判で南京事件を裁いた際の裏づけとされました。しかも、南京事件当時、外務省の東亜局長だった石射猪太郎は日記に「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼、これが皇軍か」と書いたとのことです。

日中の共同研究において一部の誇張(「ねつ造・改ざん」)は修正されたものの、「事実はあった」のです。歴史の改ざんは、日本の品格を貶めるものと言わなければなりません。太平洋戦争で、日本人はアジアの人々を二千万人以上殺戮しましたし、台湾・朝鮮の植民地化によっても耐え難い苦痛を与えました。殺戮された人々や植民地で抑圧された人々の悲痛な思いに心を寄せることができなければ、何時まで経っても友好関係は築けません。

明治維新の思想的バックボーンとなった吉田松陰の「対外膨張主義」に加えて、福沢諭吉が、文明進歩のために戦争はやむを得ない。中国人は「文明の誘導者」である日本人に感謝して当然だと主張したことも、我々が思想的に克服すべき内容だと思います。なぜなら、南京大虐殺を次のように回顧した日本兵がいるのです。「教育やな、中国人は人間とも思ってなかった。日本は他の国より優れてる。殺してもいいんや。そんな感覚でした」と。もちろん「教育勅語」「軍人勅諭」による教育(今、復活させる動きにありますが)もあってのことです。

以上から小生は、戦争責任を問われなかった政治家や官僚とその子孫がこれらの思想を引きずっていることが、奴隷制や植民地化が過去に遡って犯罪とされるようになった昨今の国際的潮流から取り残されている日本の政治を象徴的に表していると思っております。

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