2015年3月アーカイブ

2013年に英オックスフォード大学が発表した「コンピューター(ロボット化)の影響を受けやすい未来の仕事」のリポートは、702種類の仕事をコンピュターのよって代替される可能性の多寡を基準によって仕事のランキングをしています。そのランキングを一読しますと、単純・定型的な業務はコンピュターによって代替されますが、クリエイティブ・対人的な業務はコンピュターに代替され難い業務でした。

私の仕事に関係する業務を例にすると、CFO・税務アドバイザーはコンピュターに代替され難い仕事になっていました。一方、記帳代行業務・申告書作成業務はコンピュターによって代替される可能性の高い仕事になっております。

個人的には、記帳代行業務・申告書作成業務を単純作業と思いませんが、人工知能の発達が想像以上に急速進むとあながち非現実的分析とは思いません。現在、記帳代行業務・申告書作成業務に従事している人々は中間所得層に属していますが、それら業務がコンピュターによって代替されると、それらの人々はコンピュターに代替され難い業務にシフトせざる得なくなります。そのシフトの先は、高所得のサービス業(経営者、CFO、医者等)か低所得のサービス業(小学校の先生、聖職者、ケースワーカー、アスレチックトレーナー等)の何れかになります。つまり、中間所得層の減少に歯止めがかからず、社会が二極化していきます。

話題のトマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」の核心である資本収益率(r)が経済成長率(g)を常に上回っている故に、「富める者がますます富む」は日本の現状に当てはまらない分析と考えます。

むしろ、ITの発達が日本社会の二極化をもたらすのではないでしょうか

「格差」のイメージは「富める者はさらに富み、富が集中すること」です。ですから議論の中で格差という言葉を用いると、人は植付けられたイメージによって物事の判断をします。つまり「格差」という報道がなされると「高所得層」と「貧困層」との対比で問題の所在を考える傾向があります。ですから、「高所得層」への増税には拍手喝采します。

しかし、日本経済新聞(2015年3月2日)記事「ピケティさんの教え、日本への処方箋に違和感(核心)」でも述べている通り、日本が抱える問題は、「増加しつつある貧困層」と「社会的責任を認識しない富および所得の大半をしめる中間層」問題です。

社会学者の山田昌弘氏は、格差には、上位層がますます良くなる「上離れ」と、下位層がさらに落ち込む「底抜け」があるとし、このうち「底抜け」の増加が、社会に与える不安が大きくなるとしています。「底抜け」層は、収入が低い、努力が報われないと思う、未来に希望がもてないなどの特性を持つため、この層の増加は、社会の活力が喪失、犯罪の増加などにより社会が不安定化するとしています。

日本社会は、少数の「高所得層」、大多数の「中間層」と「貧困層」で構成されています。
そして、日本が抱える問題は、「貧困層」が増加している傾向があることです。この問題を的確に伝えることがマスコミの使命です。そうであれば、用語の定義を明確にすべきです。「格差」という言葉は、「富める者はさらに富み、富が集中すること」を意味するようになっています。格差という言葉から「貧しき者はさらに貧しくなり、社会の底辺に沈んでゆくこと」を連想する人はまず居ないと推測します。

「貧しき者はさらに貧しくなり、社会の底辺に沈んでゆく」社会現象を指摘する時に「格差」という言葉をマスコミが使用しないことが大事と考えます。私見ですが、「貧しき者はさらに貧しくなり、社会の底辺に沈んでゆく」社会現象を指摘する時、マスコミは「底抜け化」現象という用語の使用が適切と考えます。

的確な理解に資する言葉を使用することによって、はじめて日本の抱える問題を国民レベルで共有できると考えます。

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