日本国憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
2「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
上記憲法条文より自衛権は放棄したと当初は考えられていました。文理解釈からすれば、自衛権は放棄したと読むのが自然です。しかし、自衛権は日本が国連加盟時に与えられました。そこで、鳩山一郎内閣(1954)での「自衛権の保有」、田中角栄内閣(1972)での「個別的自衛権の行使に限定」、鈴木善幸内閣(1981)での「集団的自衛権は保有するが、行使できない」の如く鳩山一郎内閣の時から、憲法の論理解釈(字句に囚われないで解釈)が始まり、その後は論理の拡大解釈で取り繕ってきたことが今日の問題を引き起こしています。国の最高法規である憲法を論理解釈しています。そのこと自体が大問題です。
現行憲法を盲目的に守ろうとする人々は、憲法を聖書のように思っています。しかし、憲法は聖書ではないのです。社会のパラダイムが変わったら、憲法も変えるべきです。
自衛権を認める立場にたてば、鳩山一郎内閣の時に憲法第9条は改正されるべきでした。護憲の名の下に戦争反対を叫び、しかし、憲法の論理解釈で自衛権を認めるというダブル・スタンダードに大きな矛盾があります。ダブル・スタンダードは解消すべきです。その解消の選択は、改憲するか護憲を貫くかです。これは国民の判断に委ねるべきと考えます。問題のひとつは、厳しすぎる憲法改正規定[i]にあります。
今の日本人で侵略戦争に賛成する人はいないと思います。そのような状況の中で戦争反対を叫ぶ人は、侵略戦争にも反対し、自衛のための防衛にも反対する人々です。
家族が殺されて自分の財産も自分の命も危うくなる事態になっても戦争反対の信念を貫けるのであれば護憲の立場を貫いて欲しいです。
家族の命を守るためにも、自分の財産を守るためにも自衛する必要があると考えるなら、自衛権の保持と行使が出来ることを憲法の条文に明確に書くべきと考えるでしょう。つまり改憲です。
今回の安保法案を多くの憲法学者が憲法違反であると言ってことは、憲法第9条を変えないでの自衛権の拡大解釈が、認められる限度を超えていると言っていると推測します。自衛権そのものを違憲であると言っているのではなく、本来、憲法において明記されるべき権利(自衛権)が、憲法において明記されないまま、その権利行使を認める立法に対して違憲と述べていると解釈しています。
私は侵略戦争には反対ですが、自衛権の行使は限定的ですが必要と考えます。そのような意図が反映されるように憲法が改正されることを望んでいます。
[i]日本国憲法第96条 「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
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