「地獄は善意の敷石で敷き詰められている」について

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読売新聞(2015年8月23日)の「編集手帳」は、集団的自衛権の是非を考えるにあたって大変示唆のある記事です。

当該記事を添付しました。 是非、読んで欲しいです。クリックしてください。当該記事が読めます。

本記事の後半に「地獄は善意の敷石で敷き詰められている」という格言が引用されています。この格言に興味をもちました。「地獄は善意の敷石で敷き詰められている」の原文はThe road to hell is paved with good intentionsです。格言の解釈は良い意図が意図しない悪い結果をもたらすことがあるので要注意であると考えます。

ある行動を取った場合、良い意図にさえ思いがけない悪い結果があるかもしれません。善意を持っている人、「いい人」でも、その考え方が「正しい」とは限らないです。むしろ、間違っていることが少なくないのです。

地球は太陽の周りをまわっているという地動説を当時の人はどれだけ信じたのでしょうか?太陽が地球の周りをまわっているという天動説の下では、地動説を唱える人は迫害されました。当時の人にとって地動説という間違った説を唱える輩は、悪魔の回し者と考えられたでしょう。

「善意」によって、誰かをむしろ悪い方向に導いてしまうということはよくあることです。これが政治のように規模が大きく、重大な判断である場合、「善意の間違い」が多数派を占めたり、権力を持ったりすると、それが「地獄への道」になる訳です。この事を踏まえて、添付した記事を読んでみて下さい。今までとは違った理解になるかもしれません。

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示唆に富む貴重な情報とコメントをご提供頂きまして、有難うございます。幾つかの疑問を抱きましたので、ご紹介させて頂きます。
(1)歴史の教訓
歴史から学ぶことは大切なことです。しかし、主張に役立つ個々の事実だけ採り出すのでなく、関連をよく観て総体的に把握することが求められるのではないでしょうか。
(イ)「集団的自衛権行使」は良策か?   軍事同盟による「集団的自衛権行使」は、複数国で仮想敵の軍事力との比較優位を図ろうとするもので、軍拡を促進するとともに1%の悪意ではなく、何10%間の悪意のぶつかり合いをつくりだします。第一次世界大戦は、オーストリア皇太子の暗殺を発端として軍事同盟の連鎖によりヨーロッパ全体に拡がりました。日英同盟により日本は権益横取りを狙いアジアにまで戦火を拡大しました。この結果、総戦死者は1466万人にものぼりました。第二次世界大戦では、日本は日独伊の3国同盟によって50カ国余を敵に回しました。ここに「軍事同盟」の危険性があります。一方、第二次世界大戦後、国際連合が設立され「集団安全保障」の仕組みが創られました。この仕組みは、ある国が侵略された場合に、他の国連加盟国全体でこれを守るものです。つまり、1%の悪意に対して残余の99%が守る(したがって、悪意を実行に移せない「抑止力」となる)ということです。「集団安全保障」が「軍事同盟」に比べて、はるかに優れたものであることは明らかです。しかし、国連憲章では、攻撃を受けてから国連が対応するまで「個別的自衛権(個人の正当防衛に相当)」に加え、大国の思惑で「集団的自衛権」の行使ができることとなりました。(注1)これによって、冷戦間の大国間の対立で、前述の優れた機能を発揮できませんでした。しかし、湾岸戦争やイラク戦争の経緯を見ると、「多国籍軍の編成」「米国への牽制」など、この仕組みが機能する方向へ進んでいます。国際的に見れば、軍事同盟・軍備拡大の悪循環へ向かうのではなく、国際連合の「集団安全保障」の機能強化に努めることが今こそ求められていますし、国際連合の理念と合致した憲法9条をもつ日本こそが、その役割を担うのに最も相応しい国ではないでしょうか。
(ロ)ベルギーの安全保障をどう見るか?   ベルギーにしても、ドイツの再軍備への対応などからNATOに加盟していますが、冷戦の終結やEUの創設・拡大にともない、欧州域内における仮想敵が消滅したため、兵力を削減し、徴兵制も廃止しています。EU内では、国連の「集団安全保障」と同じ仕組みが実現しているのであり、これを世界に拡げることが課題だと捉えることもできるのではないでしょうか。なお、「軍事同盟」に拠らない平和の構築を目指して「非同盟運動」が進められており、国連加盟国193カ国のうち加盟国は120国・オブザーバー17国となっており、人口比では、世界総人口の82%を超えるようになっています。これが100%に近づき国連「集団安全保障」と結合した時に、世界平和が確立できるのであり、ここに注力すべきではないでしょうか。(軍事同盟の強化は、これに逆行するものだと思われます。)
(2)歴史認識について
「中立条約を守るという善意がソ連になく、多くの日本人が犠牲になった」という記述についても、一面的な見方であり、日本の戦争指導者を免責するものと思われます。
(イ)中立条約は反故?   1939年8月 独ソ不可侵条約調印、1940年9月日独伊枢軸同盟調印、1941年4月 日ソ中立条約調印、同年6月 独、突如ソ連に攻撃開始。この経過を見れば、ドイツが日ソ中立条約調印の2か月後にソ連を侵略したのですから、この時点でドイツの同盟国である日本はソ連の敵国になってしまいました。ドイツの侵略によって日ソ中立条約は反故にされたと見るべきではないでしょうか。元々日本は日露戦争(宣戦布告前に旅順攻撃)、シベリア出兵など侵略により自ら「悪意」を見せつけて来たのであり、同盟国ドイツの侵略によって次は日本の侵略かと脅威(「悪意」)を与えて来たと見るのが自然でしょう。そうならば、ソ連に「中立」を期待したり、講和の仲介をソ連に依頼した戦争指導者の非常識と同様の「善意がソ連になく・・」という指摘は、頓珍漢ではないでしょうか。
(ロ)シベリア抑留は日ソ合作?   シベリア抑留の悲劇。その元凶が、ソ連でありスターリンであったことは言うまでもありません。他方ソ連の侵攻に際して大本営がこれを促した事実も忘れてはなりません。ソ連の侵攻に際して8月10日大本営は「日本人の大陸残留」を決定(天皇承認)、関東軍に命令。8月14日「居留民の現地定着」を満州国特命全権大使へ緊急電にて指令。8月21日ソ連へ陳情、同29日「陳情書」として提出。さて、ポツダム宣言では、日本国軍隊は完全に武装解除された後には、家庭に復帰し、平和で生産的生活を営む機会を得られるようになっており、8月16日のソ連の指令書は、これに沿った内容になっていました。(日本・満州軍の軍事捕虜をソ連領土に運ぶことはしない。軍事捕虜収容所は、可能な限り、日本軍の武装解除の場所に組織されなければならない。)ところが、8月24日のスターリン命令書では、極東及びシベリアで50万人の強制労働に変ったのです。これには、先述の大本営の命をうけ、関東軍総司令部からソ連へ伝えた意思が鍵となりました。ワシレフスキー元帥あての「陳情書」(瀬島龍三執筆)から「軍人」についての一部を拾います。「・・貴軍の経営に協力せしめ・・極力貴軍の経営に協力する如くお使い願いたい・・。・・相当役立つものと考えます。」第二次世界大戦では、総戦死者は5473万人にのぼりますが、このうちソ連が約4割の2132万人でした。甚大な被害を受けたソ連が、戦災復興の人的資源として既に活用していたドイツ人捕虜に日本人捕虜も加えようとこの陳情(ポツダム宣言に違反しない口実となる)に飛びついたことは言うまでもありません。ソ連が抑留し強制労働させた捕虜は、ドイツ238万人、日本64万人など24カ国、417万人にのぼるとされます。日本の戦争指導者は、善意で敷詰めた地獄への道に、国民を放り出したのです。(「善い意図が意図しない悪い結果をもたらすことがあるので要注意である」又は「悪人の中には善意の行為を主張するやからが多い」の何れでしょうか。)
(ハ)「満州棄民」は日本責任?   さて、日本が敗戦すれば、満州はどこに帰属することになるでしょうか?日本の戦争指導者はここでも非常識な対応をしました。満州が解放されれば、当然ながら中国に帰属するでしょう。しかし、総計約135万人と推定される「一般居留民」についても、「・・なるべく駐満の上貴軍の経営に協力せしめ・・」と陳情したのはソ連に対してでした。しかも、関東軍司令部の家族、満鉄関係者(支配機構)だけが、特別列車を仕立てて密かに脱出し、一般の日本人を置き去りにしました。ソ連軍は、1946年5月には撤退して満州の統治を中国(国民党政府)に引き渡しました。戦争指導者は、明治維新以来繰り返してきた侵略と植民地化の観念から、ソ連も占領・植民地支配するとでも思い込んでいたのでしょうか。
中国の第二次世界大戦の総戦死者は1132万人、このうち民間死者が1000万人です。満州開拓民は、関係当局が地元農民を耕作地から追い出し、暴力的に「無人地帯」にした土地に入植しました。また、皇軍(日本軍)は、一部地域では「焼きつくせ、奪いつくせ、殺しつくせ」の方針で、住居も生産基盤も破壊しました。置き去りにされた一般日本人は日頃から中国人の恨み・憎悪の対象となっており、敵視され迫害されることは必定と思われます。戦争指導者はこんなことにも思い至らなかったのでしょうか。政治指導者がよく口にする「国民の命を守る」という言葉が、いかに観念的で空虚なものか判るのではないでしょうか。
(3)侵略の脅威(「悪意」)とは?
「確率1%でも悪意への備えを怠らないことが、安全保障の肝である。」これは、「もしどこかの国が突然攻めてきたらどうするのか」という問いに対する妥当な結論のように見えます。しかし、この問いの蓋然性については、論証不能なのではないですか。そうであれば、「『攻められない』ようにする条件をいかにして作るか」と問い直すべきではないでしょうか?これに対する答えの基礎は「攻めない国」であり続けることであり、さらに「攻められない」工夫を積み上げて行くことだと思います。「攻められない」ためには、敵を作るのではなく、国同士、国民同士の信頼関係を強化し、お互いの安全保障を図る、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する」ために、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうち生存する権利を」確立するために、積極的に非暴力・非軍事の外交と国際貢献を行うことでしょう。ここに日本国憲法の真の「積極的平和主義」があるのではないでしょうか。これまでの自民党など歴代政権は、このような意味での外交や国際貢献に背を向けてきました。(注2)これを逆手にとって、「積極的平和主義」と称して、抑止力(武力による脅威)強化・集団的自衛権行使(複数国の軍事力結集)を進めると言うことは、「軍国主義」の詐称です。これでは「攻めてしまう」蓋然性を高め、翻って「攻められない」条件を掘り崩すことになります。このことは、日本が米国のアフガニスタン・イラク侵略を支援したことで、イスラムの敵と看做され、犠牲者を生み、テロの脅威に晒されるようになったことからでも明瞭ではないでしょうか。
中国や北朝鮮などの脅威に関しては、国会審議の中で、政府は中国を脅威と見ていないと答弁しました。また、北朝鮮も「窮鼠猫を噛む」状況においての脅威に過ぎません。軍事力では雲泥の差があるのですから。ヒトラーの右腕、ヘルマン・ゲーリングは国民を戦争に駆り立てるのはたやすいと言いました。「われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者には愛国心が欠けていると非難すればよい」と。私たちは、国際環境を広くしかも冷静に見て行くことが大切です。その際に注意すべきことが二つあると思います。一つは、日本は言うに及ばず中国、北朝鮮、ロシアなどにも米国CIA・協力者が入り込んでおり、工作活動(情報操作含む)をしていることを想定して、目を凝らして観ることが大切ではないでしょうか。「脅威」はつくられるのです。二つ目は、最近気になることですが、中国の脅威を煽りながら、米国からは中国へも日本へも武器が売りつけられていることです。日本の武器輸出解禁に伴って、近い将来に日本の技術を使った武器を中国が保有することになるのではないでしょうか。なお、米国の軍産複合体の危険が米国大統領から指摘されてから半世紀、その危険は拡大し(米国は戦争漬けの国と化した)、日本も武器輸出解禁等一挙に軍産学協同体制に入りつつあることも注視することが大切ではないでしょうか。
(4)独裁政治か?民主主義か?
政治において、「『善意の間違い』が多数派を占めたり、権力を持ったりすると、それが『地獄への道』になる」とのご指摘については、次のように考えます。主権者である国民自身の判断が間違うことは当然あるし、間違えば反省し、改めることで進歩する。なお、様々な意見が集約されるために、間違いは少なくなる。時間がかかるかも知れないが、これが民主主義ではないでしょうか。一方、政治指導者がこれは正しい、この道しかない、後世には理解される(今は、耳触りの好い説明だけで済ませてよう。秘密もありである。)という独断で進める政治は、間違えば主権者である国民に犠牲を強いるだけで、責任の取りようがありません。このために、政府は憲法の範囲内で政策を行うことになっています。もし、憲法に反する政策を執りたい場合には、先ず主権者の意思で憲法を改定することが求められます。これを怠れば、立憲主義を放棄し、民主主義を否定する独裁政治そのものではないでしょうか。ところで、日独伊の独裁的全体主義によって5千万人余の戦死者を出した第二次世界大戦の反省に立って、「ポツダム宣言」が日本に求めたものは、(1)国民を騙し世界征服の誤りを犯させた者の権力・勢力の永久除去(戦争指導者の追放)(2)戦争遂行能力の破砕(侵略戦争の再発防止)(3)民主主義的傾向の復活・強化、基本的人権の確立(独裁的全体主義の復活防止)などでした。これを受けて、「日本国憲法」がつくられるのですが、戦勝国から押し付けられたものという説が流布しています。しかし、事実は短期間の中でありながら、日本政府がつくるものとされ、国会で充分な審議を経て、日本共産党の反対(天皇条項と主権在民の矛盾。主権国家の自然権である自衛権の明記なし:吉田首相答弁では9条に自衛権なし。)を除く全会一致で承認されたものです。この過程で出された当初政府案は「大日本帝国憲法」(天皇絶対の専制主義)を色濃く残し「天皇主権」に立つもの、つまり「民主主義」と相いれないため、相手にされませんでした。そうした中で、日本人グループ・憲法研究会が自由民権運動や大正デモクラシーの伝統を活かして憲法草案を提案しました。これを参考にしてGHQ案がまとめられ、国会審議を経て確定しました。この結果、当時も現時点でも世界的に高い水準の内容となっているのではないでしょうか。憲法9条に関しても、「戦争遂行能力の破砕」という消極的な意味合いではなく、世界平和を希求する人類の英知の結晶として表現されたものと言えるのではないでしょうか。この点に関しては、参考に次の2冊だけでもご一読頂ければ幸いです。(1)「憲法『押しつけ』論の幻」(小西豊治 講談社現代新書 2006年)(2)「憲法9条の思想水脈」(山室信一 朝日新聞社 2007年)なお、戦勝国から押し付けられたと思った人々は、天皇中心でなければならない、国家のためであれば国民の基本的人権は制限されて当然だとする立場にあり(民主主義の否定)、憲法は、主権者・国民が政府の手を縛るものではなく、国家が国民を縛るもの(立憲主義の否定)という考えをお持ちのようです。前回のコメントでも少しふれた自民党「日本国憲法改正草案」は、歴史を120年以上前(「大日本帝国憲法」制定時)に戻すものではないでしょうか。
(5)蛇足―「集団的自衛権行使」は危険ではないか?
小生が学生時代の友人に、米国はイラン・イラク・北朝鮮を「悪の枢軸」とか「ならずもの国家」呼ばわりするが、自分の方が最たる「ならずもの国家」なのにネー、と言う。友人は、その通り。山口組のようなものだ、と言う。そこで小生はなんとか堅気になれないものかネー、と言う。友人は、無理、無理。日本はみかじめ料を払って商売させてもらえばよい。余計なことをするととばっちりを受ける、と言う。小生は、黙して、考え込む。(長いものには巻かれろか・・奴隷的自由か・・他人を犠牲にした自由か・・)「集団的自衛権行使容認」は、この友人の喩えを用いると、山口組の取り巻き(チンピラ)がいよいよ組員になるようなもの。これまでやくざ同士の出入りがある時、家の事情で(憲法の制約で)失礼しますと言えたが、これからはもう抜けられない。
安倍首相は「米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択」と言います。それでは、米国の行状は、どの様なものなのでしょうか? 外交・軍事面においては、他国への内政干渉と軍事介入を一貫してし続けてきました。第二次世界大戦後の主なものだけでも50を超える軍事介入を行ってきました。その犠牲者は1000万人とする人もいます。戦前はどうだったでしょうか?米海兵隊のスメドレー・バトラー少将が1935年に次のように書いています。「私は・・大企業、ウォ-ル街、銀行家の高級ボディーガードであった。・・ブラウン兄弟の国際金融グループのためにニカラグアの浄化に力を貸した・・メキシコとりわけタンピコをアメリカの石油利権のために安全にするのに協力した・・アメリカの砂糖利権のために、ドミニカ共和国に光明をもたらした・・ハイチとキューバを、ナショナル・シティ・バンクの行員が収入をかき集めるために、すばらしい場所にする手助けをした・・ウォ-ル街の便宜のために、半ダースほどの中米の共和国の強姦に協力した・・中国でスタンダード・オイルが何もわずらわされることなく突き進むために、面倒をみる手助けをした。・・振り返ってみると、アル・カポネにもいくらかヒントをあげられたかもしれないという気がしてくる。カポネがやったことといえば、せいぜい、3つの都市で不正な金儲けをしたにすぎない。私はそれを3つの大陸でやったのだ。」つまり、戦前・戦後を通じて、軍事力でやりたい放題のことをやってきているのです。もちろん、その都度、看板を作りますが、看板には偽りありです。また、常習的に「事件」のねつ造もします。
日本が支援してきているアフガニスタンやイラクへの米国の侵略戦争の狙いは、天然ガス・石油の利権にありました。無辜のイラク人犠牲者は数十万人、難民は数百万人、劣化ウラン弾による被害はこれから長期間に亙り何百万人にのぼるかも知れません。またシリアでも多くの難民をうみだし、今欧州で大きな社会問題になっています。国際法では、テロは裁判により裁くこととなっています。日本政府は「法の支配」と言うならば、米国の「対テロ戦争」に反対し、「パートナー」と言うならば、諌めなければならなかったはずでした。日本政府には、戦争に加担することで、アフガニスタン・イラク・ISの敵とされることの自覚もなく、先般人質を危険に陥れ、結局殺害された責任もあります。以前には、自衛隊を海外に遣らないことで、世界に敵をつらないで来れました(ベトナム侵略戦争への加担では、ベトナムは、日本政府は米国の傀儡と見抜いて、国民の反戦運動を評価し、敵視しなかった。)のに、政治指導者の浅薄な認識と軽率な判断で、このような状況を招いてしまっているのです。もし「集団的自衛権行使」を容認すれば、自衛隊の海外派遣は常態化し、米国と一体化した軍事行動をとることになります。その結果、世界中に敵をつくる危険を負うことになるでしょう。(注3)
さて、このような日本政府と対照的な素晴らしい対応例があります。ブッシュ政権の「対テロ戦争」に全米が熱狂的な支持を与えていた2001年10月16日、米カリフォルニア州バークリー市議会が「空爆停止」と「テロを共謀した人々を国際社会とともに裁判にかけるあらゆる努力」を求める決議を挙げたそうです。さらに、「あらゆる国々の政府と協力して、テロリズムの温床となる貧困、飢餓、疫病、圧制、隷属といった状況を克服するために努力すること」、「5年以内に、中東の石油への依存を減らし、太陽パワーや燃料電池など持続可能なエネルギーへの転換をめざすキャンペーンに、国全体で取り組むこと(注4)」をも求めたというのです。如何でしょうか。小生は、特に最後の要求項目に注目します。中東の石油をめぐる利権争いが戦争の原因となっていることを見抜き、その解決策を提案しているからです。

(注1)「集団的自衛権」の由来   国連では、米ソ英仏中の5大国に拒否権を与え、5大国の協調を重視する仕組みが採られた。5大国の一致がなければ、国連の名による軍事的制裁は出来なくなる。そこで米国は、米軍の軍事行動の自由を確保するために、「集団的自衛権」の規定を無理やり国連憲章に押し込んだ。ソ連なども受け入れた。こうして米国・ソ連が「集団的自衛権」と称して他国を侵略する道が開かれた。
(注2)自民党など歴代政権の外交・国際貢献   第一次世界大戦の反省から創立された「国際連盟」「国際労働機関(ILO)」は、世界の平和をめざすものだった。日本は本心から賛同し加盟したのではなく、大国の面子を保つため加盟しただけと思われる。軍縮に背を向け、「戦争禁止」に触れないよう「事変」と称して侵略を進め、「国際連盟」を途中で脱退。ILOは「貧困の脱却と公正な経済社会の構築こそが世界平和をもたらす」という理念のもとに労働条件の改善など図る国際組織だが、日本は1919年の第一号条約(8時間労働制)の批准すら未だに行っていない、様々な是正勧告を受けているのに遅々として改善しない、新たな条約の提案をすることもない、など極めて不熱心である。第二次世界大戦の反省の上に設立された「国際連合」においても同様であり、かつては「国連中心主義」と言ったり、例えば「日本は唯一の被爆国で、核廃絶を悲願とする平和国家・・」と言ったりしたが、米国の顔色を見て議決に参加していて、核廃絶には前向きではない(米国の核の傘の中にある、という理由)。「政府開発援助(ODA)」においても援助受け入れ国の一部富裕層と日本企業のみを潤し、底辺層の人々の生活水準の向上に役立っていない場合が多いだけでなく、大規模な環境破壊を誘発し、地域住民の生活基盤を奪ってしまい、大量の「開発難民」を生み出した場合さえあると批判されてきた。以上のとおり、次に示す日本国憲法施行当時の政府方針からすれば、恥ずかしい限りと言えないでしょうか。「世界のすべての国民は平和を愛し、二度と戦争の起らぬことを望んでいる。私たちは世界にさきがけて「戦争しない」という大きな理想をかかげ、これを忠実に実行するとともに「戦争のない世界」をつくり上げるために、あらゆる努力を捧げよう。これこそ新日本の理想であり、私たちの誓いでなければならない。」(「新しい憲法 明るい生活」1947年5月3日発行)
(注3)安全保障関連法案   安倍首相が、母親が赤ちゃんを抱いて乗っている艦船のパネルを使って説明した「邦人輸送中の米輸送艦の防護」について、国会審議で「邦人が乗っていることが条件ではない」と政府が答弁した。日本が米艦船等の防護を日常的にできる態勢を作ることが目的であることがはっきりした。「ホルムズ海峡の機雷掃海」についても、国会審議の中で、外務省自身がイランの機雷敷設による海峡封鎖自体が「現実性に乏しい」と分析していたことが明らかになった。今回の安全保障関連法案は、最新ガイドライン(米国での通称War manual)に沿って日本を戦争する国とするもので、要点は次のとおり。(1)日本が攻撃を受けていなくても他国(米国に限らない。)が攻撃を受けて(先制攻撃=侵略に対する反撃も含む。)、政府が「存立危機事態」と判断すれば武力行使を可能にする。(自衛ではなく「他衛」や「侵略」も含む。)(2)米軍等が行う戦争に、世界のどこへでも自衛隊が出て行き、戦闘現場近くで「後方支援」(兵站活動だから戦争そのもの。)をする。(3)米軍等の「武器等防護」(例の米輸送艦も含む。)という理由で、平時から同盟軍として自衛隊が活動し、任務遂行のための武器使用を認める。(米軍主導の「対テロ」掃討作戦と渾然一体、戦争と不分離。)  「現在の日本人で自ら侵略戦争を望むものはいない」との認識は、正しいでしょう。しかし、今回の安全保障関連法案には、それを防ぐ規定は無い。また、米軍等との一体化(共同体制)が狙いであり、歯止めのかけようがない。元々自衛隊がつくられた時、国会は「海外には派遣しない」決議をし、歯止めをかけた。この歯止めが外されてからは、なし崩しに侵略戦争への加担も拡大してきた。ところが、「侵略戦争」との認識すらない。侵略戦争を「望まない」のに「容認する」このギャップ(何でも他人ごと)こそ日本人の弱みではないか。
(注4)再生可能エネルギーへ早期転換を   日本も福島第一原子力発電所の事故によって、安全神話の呪縛から脱け出そうとしているが、完全ではない。人類が「電気」に依存する場合、化石燃料やウランが枯渇すれば、後世はどうなるか。年間消費量で可採埋蔵量を割った可採年数は、経済産業省のデータでは、石油40年、天然ガス66年、石炭164年、ウラン85年となっています。つまり、今のまま消費すれば、これらに依存した発電所は1世紀も経てば発電不能になる。しかも、化石燃料が稀少になれば、それだけ価格も高騰し、争奪戦も激しくなるだろう。もう一つ忘れていけないことは、後世に負の遺産(「核のゴミ」)を引き継ぐことだ。せめてそれを最小限に留めること(これ以上「核のゴミ」を作らないこと)及び化石燃料が枯渇しても「電気」が使えるように再生可能エネルギー技術の研究開発を急ぐこと―これが現世代の責任ではないか。これによって大国(日本も入るのだ!)による石油・ガス利権争奪戦争から脱却し、世界平和をつくることにも貢献できるのだから。原発再稼働は、そのインセンティブを奪うことにもなる。なお、発電単価は日本の場合、水力<火力<原子力の順。(電事連が宣伝してきた想定単価でなく、有価証券報告書から見た実績単価。)これは、広島型原爆の120万発相当の「核のゴミ」の保管(万年単位)コストは算入前の比較。これに原発事故の賠償等費用も含めれば、原子力の発電単価は圧倒的に高い。為替レートの変動(円安による石油等の輸入代金増)と総括原価方式{電力料単価(↑)=総括原価(原価[不稼働原発の原価込]+利益)/消費電力量(↓;事故前比全国で10%減少)}によって、原発0が高いと見えるだけではないか。円安によって他の産業では、輸出代金増があり、国民経済としては、これで相殺されると見るべきでではないか。つまり、原発0にしても、「国民生活が低下する」ということも、「世界から経済的に脱落する」ということもない。これが原発0のほぼ2年間の実感とも合っているのではないか。しかも、何よりも大切なことは、もう二度と原発事故を起こさないこと、「核のゴミ」を増やさないこと、再生可能エネルギー技術開発を促進することに尽きるのではないか。

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