日米安全保障条約について

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ジョージ・ケナンの「20世紀を生きて(原題:Around the Gragged Hill)」を読みました。

その本の第9章と10章で「(米国の)対外政策」について議論しています。「対外政策」の中で、日米安全保障条約について触れられていました。日米安全保障条約を米国サイドから見た議論は興味を引きましたので、その部分の超要約を作りました。

留意すべき点があります。この本は1993年に出版されています。ですから、出版から20年余り経過後の現在の状況や事実関係は変わっている恐れがあります。

日米安全保障条約に関わる内容は下記の通りです。ご一読ください。

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米国が対外政策を検討するにあたって、考慮しなければならない点がある。それは正式に米国議会が認めた同盟国とそうでない国があることである。

エジプト、ギリシャ、トルコ、イスラエル、フィリピン、韓国、パキスタンをしばしば同盟国と呼ぶことがあるが、私は言うのをはばかる。長い間、冷戦上の理由から、中東への公約を守るための理由から、我々は彼らの軍備の維持と増強に多額の金を出してきたというだけである。これらの国々は真の同盟国ではない。

米国が結んでいる正式な軍事同盟は、北大西洋条約(NATO)と日米安全保障条約の二つである。この条約が続く限り、我々は彼らの要求に対して真摯に従う必要がある。米軍の日本駐留、および日本国内の一定の軍事基地使用は日米安全保障条約の規定に基づいている。

ソ連崩壊に伴う状況の変化により、NATOと日米安全保障条約を継続・遵守すべきかどうかの議論はなされるであろう。日米安全保障条約についての見解を述べる。ソ連の脅威は現在と予見しうる将来にわたり無くなったと考える。とはいえ、不安定な状況が朝鮮と中国でなお続いている。両国の状況がもっとはっきりしない限り、日米の軍事協定を見直すのは時期尚早だろう。

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ここから私見を述べます。

憲法第9条の下日本の平和は保たれてきたという議論がありますが、これは木を見て森を見ない議論に等しいと思います。憲法第9条の下、日本が仕掛ける戦争をしてこなかったことは事実と考えます。しかし、日本に仕掛けられる戦争が戦後無かったのは憲法第9条が機能したからではないと考えます。憲法はあくまで国内法で、他国を律する法的根拠はありません。戦後、日米安保条約という軍事同盟があったことと、米国の絶大なる軍事力があったからです。

米国の絶大なる軍事力に陰りが見える今、日本に仕掛けられる戦争のリスクはゼロと言えない時代になっています。万が一、日本に戦争が仕掛けられた場合は、専守防衛の考え方を尊重して行動すべきと考えます。

私は自衛隊の保有も個別的自衛権の行使も憲法違反であると考えます。それを拡大解釈で憲法違反でないとしています。それ故、集団的自衛権も憲法の拡大解釈がまかり通っています。国民の多くが自衛隊も個別的自衛権も必要であると考えるなら、憲法の拡大解釈を止めて、自衛隊の保有も個別的自衛権の行使も憲法の中で明確に認めるべきと考えます。私は自衛隊の保有も個別的自衛権の行使も憲法の中で認めるべきとの立場です。

コメント(2)

米国が私たちを守ってくれるという依存症が日本国内に蔓延しています。
日本人はそうした病を早く払拭すべきだと思います。
自分の国は自分で守るという当たり前のことのために、我々の意識改革、それを明記するための憲法改正がなされることが必要と考えます。

村田先生の「超要約」と「私見」を拝読しました。何時もながら明快で説得力のあるものであり、感心させられます。小生にも概ね納得できるものです。少々気懸りな点のみコメントさせて頂きます。
(1)ジョージ・ケナン著書の「超要約」と「日米安全保障条約」に関して
ジョージ・ケナンが「正式な軍事同盟」として「日米安全保障条約」(以下、安保条約と略す。)を挙げていることは、軍事アナリストの小川和久さんが、次のように指摘していることからも、当然のことと思われます。「日本列島から展開する海軍の第7艦隊や海兵隊など米軍の行動範囲は『地球の半分』、要するに太平洋の日付変更線からアフリカ南端まで、インド洋の全域と西太平洋、沿岸部に及び」、「日本列島に置かれた基地機能がアメリカ本国と同水準にあり、文句なしに戦略的根拠地、つまりは『本社機能』だ」、「日米同盟を解消すれば米国は『地球の半分』の範囲で軍事力を支える能力の80パーセントほど喪失し、回復不可能なダメージを被ると考えられます。」
ところで、米国の安全保障戦略の要が、ジョージ・ケナンが軽視した所に隠れてしまっているように思われます。米国が「彼らの軍備の維持と増強に多額の金を出してきた」とする「中東への公約」の狙いは、何でしょうか?あるいはそれによって得るものは、何でしょうか? それは、『石油』です。 米国経済が成長を続け、米国流の生活様式を守るためには、安く豊富な石油が不可欠でした。このため、自給自足の状況から輸入に依存せざるを得なくなると見るや否や「中東への公約」をしたルーズベルト大統領、それ以降の歴代政権は、石油の安定した流れを「死活にかかわる利益」と看做して、その確保のためには、「軍事力の行使を含めて、必要とされるいかなる手段」も講じると繰り返し公言して憚らなかったのです。実際の行動のうえでも、産油地域でCIAによる政権転覆、軍備支援、産油国同士の離反・戦争支援、侵略と軍事基地設置等を行ってきたことに留意することが大切です。
もう一つ大事なことは、日米安全保障条約において米軍は日本防衛の義務を完全には負うものとなっていないことです。日本が武力攻撃を受けた場合、旧安保条約では、米軍を「使用することができる」と規定していました。「使用しないこともできる」のですから、交渉に当たったダレスが「日本の安全と独立を保障するいかなる義務も負っていない」と明言した通りなのです。「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を許与しておきながら、これでは不平等だとして、安保条約が改定されました。しかし、上述の権利はそのまま温存される一方、武力攻撃に共同で「対処するように行動する」と宣言しているため、あたかも義務化されたように受け止められていますが、実は条件が付けられました。「自国の憲法上の規定及び手続に従って」というものです。つまり、日本に対する武力攻撃に対して、米軍も反撃に加わるか否かは、米国議会の判断によって決まることなのです。日本は、米国に望むだけの基地を提供するだけでなく、「思いやり予算」など条約を超える財政負担をし、自衛隊が駐留米軍を守っていながら、駐留米軍は日本を守るためにあるのではない、という厳然たる法的関係にも留意することが必要です。
(2)村田先生の「私見」と今回の安保関連法に関して
村田先生がご指摘した「日本に仕掛けられた戦争が戦後無かったのは」「日米安保条約という軍事同盟があったことと、米国の絶大なる軍事力があったからです」という点は、至当なものと小生も思います。また、「憲法9条の下、日本が仕掛ける戦争をしてこなかったことは事実」とされている点も公正な見方であると思います。仮に憲法9条がなく、韓国と同じ様にベトナム侵略戦争に自衛隊が投入されていたなら、数千人から数万人の犠牲者が出て、その数倍の無辜のベトナム人民を殺傷していたことは想像に難くないからです。なお、「憲法9条の下日本の平和は保たれてきたという議論」は、「仕掛けられた戦争が無かった」ということだけでなく、海外で「戦争をしてこなかった」ということを含めて主張されているように思われます。
ところで、今回の安保関連法について、村田先生が「万が一、日本に戦争が仕掛けられた場合は、専守防衛の考え方を尊重して行動すべき」とされていることには、小生も全く賛成です。また、「私は自衛隊の保有も個別的自衛権の行使も憲法の中で認めるべきとの立場」と明確にされている点も、先生らしいなと思いつつ、先生の母校・慶応義塾大学名誉教授の小林節さんが、同様の立場から、改憲を主張されてきたことを思い浮かべました。小林節さんは今回の安保関連法を「憲法違反」とし、立憲主義を否定し、独裁政治に道を開くものと断じて、廃止すべきと主張されています。村田先生は、「それ故、集団的自衛権も憲法の拡大解釈がまかり通っています。」と書かれていますが、小生にはこの文章を解読できておりません。「集団的自衛権」あるいは「今回の安保関連法」を是とするのか?否とするのか?憲法改定でどう位置付けるのか?が不明です。そこで無用かも知れませんが、私見を次に述べておきます。
今回の安保関連法は、自衛隊が日常的に米軍等と共同作戦に当たるための法制です。憲法だけでなく安保条約の内容からも逸脱するものです。日本の領域内において仕掛けられる戦争に対処するのではなく、極東にとどまらず地球上のどこへでも米軍等と一緒に行動することになります。したがって、「仕掛ける戦争」に直接加わることになりえます(前述の米国政府の石油に係る政策・行動原理を想起して下さい。戦後だけで1千万人の殺戮をしたとされています。)。また、安保条約は、国連憲章を尊重することを前提にしていますが、国連と関係のない活動もできるようになります。この様な点から見ると、「侵略は誰も望まない」「専守防衛の考え方を尊重」と言ってみても、今回の安保関連法の下、現実には「戦争しない国」から「戦争する国」へ向かってしまいます。安保条約は、日本は「個別的自衛権」・米国は「集団的自衛権」で対処するという枠組みであると説明されてきました。これであれば、日本は「専守防衛」が採れます。安倍晋三首相は、日本も「集団的自衛権」を行使しなければ、米国と対等な同盟関係とならないという先入観(教科書的な図式)に囚われています。(1)で見た通り、在日米軍基地の存在はとてつもなく大きく、日本は基地の提供だけで充分過ぎる貢献をしています。しかも、米国の日本防衛(「集団的自衛権」の行使)は「条件付き義務」に過ぎないのです。なお、教科書的な図式に従えば、日本が「集団的自衛権」を行使するなら、在日米軍基地の解消とセットで行うべきです。今回の安保関連法は、「安保ただ乗り」や「カネだけでなく、血も流せ」といった米国の脅し(事実に反する)を安倍晋三首相が真に受けたために、百害あって一利なしの誤った選択をしたものと小生は考えております。

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