憲法を考える!

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このゴールデンウィークに友人から紹介のあった『憲法改正の真実』(樋口陽一・小林節共著、集英社新書、2016年3月発行)を読みました。"改憲派の重鎮と護憲派の泰斗による改憲議論の決定版"との本のキャッチコピーから想像すると、なにがなんでも憲法改正と憲法改正絶対反対の対決の議論と想像しましたが、そうではなかったです。

改憲派と言われる小林節氏は憲法の不備な部分は正式な手続を経て改正すべき、護憲派といわれる樋口陽一氏は憲法の改正なしに実質的に憲法の内容を変える今の風潮に異議を唱えています。

憲法第9条に不備があるなら、何処が不備であるかをもっと分かりやすく憲法学者と呼ばれる人々は説明すべきです。

憲法第9条を引用します。

  • 第9条第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  • 第9条第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

平和主義を維持するという観点から、第1項に関して小林氏、樋口氏に意見の相違はありません。つまり、第1項は変える必要がないです。次に第2項に関しては意見の別れるところです。第2項の文言から個別的自衛権は保持していると読み取れるという内閣法制局の解釈は正しいから、現時点で第2項を変える必要がないが樋口氏の意見です。それに対して、第2項の文言は曖昧だから、個別的自衛権の保持を明記すべきが小林氏の意見です。ですから、自衛隊は両者とも合憲と考えています。

両者に共通するポイントは立憲主義の危機です。樋口氏のコメントを引用します。「立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。この憲法を作ったからには永久に不変という硬直したものでもない。憲法第96条で改正手続きを定め、国会の両院で3分の2の議員が賛同するまで議論を尽くしてから国民に提起する、そして国民投票で国民が決めたらそれに従うことです。」

現在の風潮に対して、樋口氏は、知の遺産を前にした謙虚さと、他者との関係でみずからを律する品性と、時の経過と経験による成熟がもたらす価値が大事であると言っています。残念ながら与党の政治家、野党の政治家共に謙虚さ、品性、成熟度に欠けています。今は、憲法まで政争の具にしています。与党は何が何でも憲法改正を叫び、野党は、憲法改正絶対反対で、冷静な議論が行われていません。

政党や政治家の意見に従って改憲、護憲を叫ぶのは間違いと思いました。我々自身、立憲主義とは何かをもっと理解すべきと思います。

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村田先生 何時もお世話になっております。『「憲法改正」の真実』の読後感を掲載頂きまして、有難うございました。これを参考にして、気懸りな点をコメントさせて頂きます。

(1)『自衛隊』の本質・実体と「立憲主義の危機」
村田先生は、憲法第9条2項に関する樋口・小林両氏の見解を紹介して「自衛隊は両者とも合憲と考えています」と述べました。一方、少なくとも本年3月29日に安保関連法制が施行された段階からは、「自衛隊は両者とも違憲と考えています」。つまり、個別的自衛権(日本を侵略から防衛する)を行使する『自衛隊』は「合憲」であっても、集団的自衛権(日本を攻撃していない国に対して武力行使することを含む)を行使する『自衛隊』は「違憲」である、と樋口・小林両氏とも考えています。このために、憲法の枠内で政治を行うよう委任されているのに、憲法を逸脱した『自衛隊』へ在り様を変えることは「立憲主義」に反するとして、告発しています。その意味からも、私たちは『自衛隊』について、国土・国民の防衛や災害救助のイメージから離れて、現時点で改めてその本質・実体をよく理解しておくことが大切だと思いました。

(2)『自衛隊』に対する国民の統制と「民主主義の危機」
『自衛隊』の発足に伴って、アジア・太平洋戦争における関東軍・軍部暴走の反省に基づき、「シビリアン・コントロール」がそれなりに工夫されました。ところが、今やその中身が「見直し」「改革」の名で実体を失って、機能不全に陥っていると指摘されています。その上に安保関連法制の施行により、『自衛隊』は米軍の指揮統制下において米国を中心とする同盟軍の一体運用により、いわば部品のようにその機能を果たすことになります。そうすると、民主主義国家においては当然「国民の意思」あるいはその代表者である「国会の意思」で統制すべき『自衛隊』の統制がなおさら効かなくなると考えられます。換言すれば、「民主主義の危機」も招きつつあることに刮目すべきと思われます。なお、内部統制がきっちり出来ていても、トップの暴走で企業不祥事が繰り返されるように、『自衛隊』の最高指揮官である内閣総理大臣が憲法第66条第2項の「文民」であっても、軍事主義思想の持ち主であっては、暴走を止めることは難しいことにも注意が必要なことはもちろんです。

要するに、「法の支配」「民主主義」を取り戻すのか、それとも、これらの蹂躙を容認し「無法国家」「独裁政治」へ向かうのか、私たちは日本の未来を選択する正に分岐点に立たされていると思われます。

なお、『自衛隊』の前身「警察予備隊」の創設目的から現在までの変遷やシビリアン・コントロールに関する動向については、『暴走する自衛隊』(纐纈厚著 ちくま新書 2016年2月発行)が大変参考になりました。ご一読頂ければ幸いです。

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