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2008年1月18日

年金徳政令

清談涼談―年金に関して興味ある記事がありました。今回はその記事を引用いたします。

 

週間東洋経済(2008126)の記事『ミスターWHOの少数異見"2008年の初夢―「年金徳政令」しかない"』は、荒唐無稽な議論ですが非常に示唆に富む年金解決策です。その記事の一部を引用いたします。

 

初夢を見た。‐‐中略‐‐世界一おとなしい国民もさすがに立ち上がり、デモの大群が社保庁を取り囲んだ。が、ここで局面は意外な展開を見せる。官邸が突如、「徳政令」を出し、5000万件の解明作業を中止すると共に、申し立てどおり全員に全額を無条件給付すると発表したのだ。列島がどよめいた。不心得な不正申請者に給付すれば、それこそ不公正の極みではないか、厚生官僚の不正追求や政治家の責任はどうするのか‐‐等々、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が巻き起こったが、すぐに国民は他に現実的な選択肢が無いことを理解した。

 

今後十年、社保庁職員にムダな給与と時間を与えても、完璧な照合はできない。その間、年金を受領できず死んでゆく国民をどうするのか。かつて国連加盟に際し、公職選挙法違反者を「大赦」した国である。それに比べれば、こちらの「徳政」の方がはるかに説得力があると言えるだろう。‐‐国民の大多数がこの「大岡さばき」を受け入れた。

 

ただし、二つの条件が付けられた。

1つ。国民年金の確信犯的未納者(49%)を含め、今後の未納者には給付しない。

2つ。社保庁関係者の年金給付額を一律5割カット。

見返りに、横領・隠蔽・不作為等の罪は免責する。

残る問題は財源だった。ところが、某グリーンピア施設撤去作業中に、金塊の山が発見された。「霞ヶ関埋蔵金」ならぬ「消えた徳川埋蔵金」が出てきたのだ。社保庁の中で一番誠実そうな人が選抜され、埋蔵金の評価に当たった。彼が叫んだ。「100兆円はある。これで"消えた年金"が帳消しになる!」。その瞬間、夢から覚めた。

 

この記事で述べられていることは、案外、有効な年金の解決策かも知れません。しかし、100兆円の埋蔵金を当てにする必要はないです。基礎年金の財源不足を補うために必要な財源は10兆円前後です。10兆円前後の埋蔵金であれば特別会計の中にあると確信しております。

2008年1月11日

年金制度改革について

日本経済新聞が17日に年金制度改革に関する報告をまとめました。

 

日本経済新聞が年金制度改革に関する見解をまとめました。そして、その内容がこの17日に報道されました。そのことについて私見をもうしあげます。自分の子供たち、つまり20歳から30歳後半までの若年層と話していると、現行の公的年金制度への不信感は拭い去ることが出来ないくらい強いことがヒシヒシと感じられます。この年代の多くの人々は、支払う保険料より年金でもらう金額は少ないと考えることより保険料の支払いを拒否することが正しい選択のであると考えています。更にこの世代は、格差の影響をいちばん受けている年代です。年収200万円以下の人が昨年1,000万人を超えたとの報道がありましたが、この低所得者層のかなりの部分を若年層が占めています。低所得者層に所属する人々は年金保険料を支払うことが出来ません。保険料徴収方式ですと、低所得者層の人々の年金保険料の未納が増えると制度は破綻していまいます。つまり、格差の問題から保険料徴収方式の現行公的年金制度は機能不全の状態になっています。

社会保険庁の改革は信頼回復のために重要なことですが、信頼回復を図るだけでは問題解決にはなりません。格差は、時の経過と平行移動して若年層から熟年層に移っていきます。このような状況下で、出された報告は時宜を得た報告と評価いたします。紙面の都合上、日経の当該報告の内容を次回以降で詳らかにいたします。

2007年7月27日

終身雇用を考える

日本経営の代表的特徴である終身雇用について私見を述べています。

私が税理士法人の代表であった時、日本経営の代表的特徴である年功序列終身雇用に対して、私は「年功序列は組織運営上弊害となる。しかし、終身雇用は保証すべきである」との見解を持っていました。その見解を持っていながら、「終身雇用は保証すべきである」の部分が何かしっくりこなかったことは事実でした。日本経営の代表的特徴である年功序列と終身雇用を指摘した学者がジェームス・C・アベグレンという米国人であることを最近知りました。彼は、日本経営の代表的特徴はLifetime Commitmentであると彼の論文の中で述べていたそうです。Lifetime Commitmentが終身雇用と訳されたこと、それが後日、Lifetime Employmentと再翻訳されたことから、Lifetime Employment=終身雇用の概念となり、それがひとり歩きして、多くの人がその概念で終身雇用を論じるようになったのです。アベグレンが言いたかったことは、企業とそこに働く人々が共にコミットメント(義務、責務、責任、約束、公約、言質)を永続的に持つような企業経営に日本経営の代表的特徴が見出せるではないかと思料します。そう理解すると、私の中にある終身雇用に対するしっくりしない感情が目から鱗が落ちる如く消えていきました。

永続的コミットメント経営(Lifetime Commitmentを村田が意訳)の主たる施策は、長期雇用、手厚い福利厚生、内部留保の充実にあります。そして、その経営施策のもたらす効果が結果として、企業の無形資産の形成にあります。永続的コミットメント経営の持つメリットに関して、神戸大学の加護野忠男先生が書かれた記事(プレジデント 2007.7.2)を参考して述べます。

  • 改善へのインセンティブ。職場共同体の人々は、与えられ仕事の枠を超え、職場の改善のために知恵を使うようになる。
  • 社内統制コストの削減。人々は会社を自分のものと思っているから、自分の会社を傷つけるような行動を許さない。自制心が働く。
  • 積極的人材投資が可能。育成した人間が会社に残る安心感があるから、安心して人材投資が出来る。
  • 人材が企業の人財となる。人財こそ、国際競争の勝ち抜くための無形資産となる。

日本経済が右肩上がりの時代、人件費のアップは売上増により容易に吸収することが出来ました。それによって、安易な方向であるコミットメントなしの終身雇用が定着し始めました。しかし、バブルが弾けると、コミットメントなしの終身雇用がもたらす弊害が顕在化するようになりました。その結果、欧米の能力主義と成果連動型報酬制度が盛んに導入されました。 その点から考えると、日本企業の経営は、欧米型経営に移行しました。しかし、日本人には欧米人のDNAはありません。人財という無形資産を日本企業が創造するには、日本人のDNAに合った永続的コミットメント経営に回帰することも大事と考えます。私の結論は「永続的コミットメント経営を経営者はすべきである。しかし、年功序列は組織運営上弊害となるので、廃止すべきである」です。みなさまのご意見を聞きたいです。

2007年6月 1日

格差是正の税制改革-ふるさと納税

格差是正の税制改革として、話題の“ふるさと納税”について、私見を述べます。 

ふるさと納税に関する週刊ダイアモンド(2007/06/02)の記事は次のようなセンセーショナルな書出しで始まっています。

「後世に天下の大愚策として名を残すこと間違いなしの政策が久々にぶち上げられた。それは“ふるさと納税”である。」

私見を述べます。個人住民税の一部を故郷に回し、地方の財政不足を解消するというふれ込みが“ふるさと納税” です。望郷の念を持つ多くの人々の琴線にふれるメッセージです。しかし、“ふるさと納税”は情に訴える政策で、参議院選挙目当ての人気取り政策と考えます。“政治によって生きる政治家”にとっては、政治家でいることが大事です。政治家は、情と共に理に適った政策を提言すべきです。マックス・ウェーバーが求めた“政治のために生きる政治家”であれば、“ふるさと納税”を提言することはないと思料します。“ふるさと納税”が理に適っていないことを述べます。 

先ず、費用と効果の観点から考察します。総務省が作成した平成19年度地方団体の歳入歳出の見込み額では、歳入の合計額は83兆円です。その内訳は、地方税40兆円、地方交付税16兆円、国庫支出金10兆円、地方債等17兆円です。地方税40兆円の約四分の一が“ふるさと納税”の対象となる個人住民税で、残りの30兆円は法人住民税、事業税、地方消費税、固定資産税です。“ふるさと納税”は最大でも個人住民税の10%と言われています。つまり約1兆円、全体の歳入の1%強が今検討されている“ふるさと納税”です。この1%のために追加的に発生する事務負担(誰が、どこに、いくら納税したいかを毎年調べる人件費)は多大なものになることが予想されます。 

次に、都道府県別に見た人口1人当たりの税収格差を考察します。東京がダントツではないかと皆様は想像すると推察しますが、事実は異なります。総務省が作成した地方税と地方交付税の人口1人当たり収入金額(平成17年度)によれば、東京を100とした場合、島根は123.8、高知は109.2、秋田は101.1です。過疎地域の県が意外と人口1人当たりの税収は高いです。ビックリすることは、埼玉は58.3、千葉は62.2、神奈川は63.2と東京近郊の県は非常に低いです。埼玉、千葉、神奈川に住む人がふるさとに納税をしたら、自分の住む県の税収は更に減ることになります。するとそれらの県が提供する警察、消防、ゴミ処理等のサービス低下をもたらします。 

更に、地方税の基本から考察します。前述しましたように地方自治を司るための歳入は、地方が提供する警察、消防、ゴミ処理等のサービスのために費消されます。従って、行政サービスを受ける居住地以外の地に納税することは、応益に応じて負担するという地方税の基本に反します。“ふるさと納税”した人は、居住する地域のサービスにただ乗りすることとなり、その分は他の納税者の負担が増えることになります。公平の観点からも問題があります。

費用と効果の観点から、都道府県別に見た人口1人当たりの税収から、そして地方税の基本から“ふるさと納税” は大いに問題ありです。

格差は地域現象として現れている面もありますが、政治として取り扱う格差とは社会的に弱者になっている人の救済にあると思います。ワーキング・プアーと呼ばれるグループの問題、90歳以上の人が100万人を超える社会での介護の問題が私は格差の問題と解します。次回は、ワーキング・プアーと呼ばれるグループの格差問題を税の観点から検討してみたいです。

地方交付税と国庫支出金を説明します。

 

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2007年5月11日

移転価格事務運営要領草案

私見争見ー国税庁は移転価格の事務運営指針の草案を平成19年4月13日に公開し、その草案に対して意見公募(パブリックコメント)を実施しました。当該事務運営指針の草案に対する私見と、その私見に基づいて村田守弘が国税庁に提出した意見書について報告いたします。 

平成19年4月13日に移転価格事務運営要領(事務運営指針)新旧対照表(案)別冊(移転価格税制の適用に当たっての参考事例集)が公表されました。当該事務運営指針の草案に対して国税庁は意見公募(パブリックコメント)を実施しました。 意見公募の期日は平成19年5月12日です。

事務運営指針は通達のようなものです。また、参考事例集は今までありませんでした。今回、参考事例集が初めて作成されました。参考事例集は事務運営指針と同列に取扱われています。参考事例集は、良く出来ているので移転価格調査において、当該参考事例集はバイブルとなるでしょう。ここで問題にしたい点があります。「参考事例集は良く出来ている」は調査する立場から良く出来ているのであって、納税者の立場からではありません。参考事例集が出来たことにより、より厳しい移転価格課税が納税者に対して行われる懸念が大いにあります。

移転価格税制を一言で言えば下記の通りです。

「仲間内での取引に利用される価格は恣意的である。その恣意性を排除するには、他人に売却する価格(独立企業間価格)を使用する必要がある。そして独立企業間価格を使用している限り、移転価格は適正である」

移転価格税制の基礎となる概念は、独立企業間価格です。この独立企業間価格の適正性が移転価格調査では常に問題にされます。移転価格調査の現状は、「納税者の合理的主張に基づく独立企業間価格は認めない。国税が決定する独立企業間価格で更正する」です。参考事例集のかなりの部分が、この現状を追認する内容となっております。この点が懸念されます。

私の懸念材料となっている問題点の指摘とその改善を求める意見書を作成しました。そして、平成19年5月10日、国税庁に当該意見書を提出いたしました。時間の制約もあって、私が提出した意見は、参考事例集の問題点を限定的に取り上げることに終わっています。そのこと申し上げます。また、それが個人的には残念です。

2007年4月27日

失われた十年 !

私見争件ー発刊された新聞記者の著書から1990年代の失われた十年を考察しました。 

最近、発刊された二冊の本を紹介します。 それは、特捜検察 vs. 金融権力(村上治著、朝日新聞社発行)と徴税権力(落合博文著、文芸春秋発行)です。村上治さんは現在、朝日新聞論説委員で、東京佐川急便事件以降の大型経済事件や政界汚職の報道に関わった新聞記者です。落合博文さんは大蔵省、国税庁を担当した朝日新聞の記者で、62歳になった時(2003年)、朝日新聞を退職されています。

特捜検察 vs. 金融権力は、バブルが弾けた1990年からの約10年間の事件を通じて村上治さんが取材した内容を本にしています。事件を題材としていますので、登場人物がすべて実名です。事件に関わった人の中には、私が個人的に知っている人が何人かいて、「あの人があのスキャンダルの渦中にいたのだぁ~!」、「あの人は泣く子も黙る鬼検事だったのだぁ~!」と、私の知人の知らない面をその本で知ることが出来ました。あの当時の大蔵省と銀行の癒着の例が書かれています。局長クラスになると銀行は盆暮に数十万円相当の洋服のお仕立券を銀行は贈る習わしがあり、100社から贈られたら、それで数千万になります。それを公然と現金化して自分の懐に入れていた悪習、その悪習の行き着くところは、悪名高き「ノーパンしゃぶしゃぶ」と村上治さんは書いています。

徴税権力も、バブルが弾けた1990年からの約10年間を対象としています。落合博文さんが国税庁担当記者として取材した内容をまとめたものです。本の内容は、国税の厚い守秘義務の壁をなんとか突いて得た情報を下にしていますので、登場人物は特定されないように書かれています。朝日新聞の記者が徴税権力という題名の本を書いたので、きっと国税批判でいっぱいと思っていましたが、想像に反して、「国税頑張っている・・捨てたものではない!」の論調の国税応援の本です。

思い起こすと、バブルが弾けた1990年からの10年は、政治家、政商、官僚の腐敗の腐臭が世の中に漂った時代でした。上記ふたつの本は、何故、失われた十年なのか・・その問題の一面を深く新聞記者の目で取材した内容をまとめています。1990年代の検察と国税の見事な連携による事件摘発で、その時代の腐臭は段々消えていき、官庁と民間の癒着問題は解決してきています。

徴税権力では、課税庁の非常に厳しい取立てを例示しています。つまり、歳入に関する公権力は機能しています。しかし、公官庁の歳出は、相変わらず穴の開いた桶の如く垂れ流し状態です。落合博文さんは、著書のおわりで「公官庁の公金腐敗を野放図にさせた責任の多くは会計検査院にある、と指摘しておきたい」と書いています。僅か一行の文章ですが、既に朝日新聞を退職している落合氏が新聞記者の感性から臭いものに蓋の官庁の姿勢に疑問を呈して、後輩の新聞記者にブラックボックス化した会計検査院のパンドラの箱を開けと言っているのではないかと想像します。

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2007年3月16日

上げ潮戦略から取り残された国民の可処分所得

私見争見ー多くの企業の好決算なのに庶民の可処分所得が増えません。何故、可処分所得が増えないのでしょうか?「何かおかしくないか?」という素朴な疑問から記事を書きました。

“いざなぎ景気を超えた(2002年1月を底に回復を続けてきた景気拡大が2006年10月時点でいざなぎ景気の57ヵ月を超えたため)”という話が、政府筋から頻繁に聞こえてきます。“いざなぎ景気を超えた”というフレーズが政府の上げ潮戦略の正当性を証明する現象として利用してしてようで、白々しい気持ちになっている人が多くいると思料します。それは、多くの企業の好決算なのに庶民の可処分所得が増えないという現実があるからです。何故、可処分所得が増えないのでしょうか?その理由として、企業は国際競争力を保たねばならないので、賃上げは出来ないが議論の主流です。それは、正論のようですが、事の本質を捉えていないようです。私は、現在の異常に低い金利水準に原因があると考えます。

私見を申し上げます。この20年間の金利水準の推移が多くを物語っています。バブルのピークは1988年から1990年にかけてです。その時の公定歩合は5%前後でした。そして、バブルが崩壊します。それからほとんどの銀行が不良債権を抱えます。その不良債権処理が金融システム維持のためには国策として取り上げられます。1995年9月には公定歩合、0.50%とそれまでの水準の1/10という異常な水準に引き下げられます。2001年3月にはゼロ金利政策が導入され、5年4ヶ月の長きにわたって続けられました。昨年7月にゼロ金利政策が解除され、公定歩合は引き上げられました。しかし、引き上げ後の公定歩合は0.40%と相変わらず異常に低い水準です。今年2月21日に公定歩合は再引き上げされ0.75%となりましたが、庶民感覚からすると常識を疑う僅かな金利引き上げです。

公定歩合再引き上げ後(2007年3月現在)であっても普通預金金利は0.189%で、定期預金金利(1年満期)は0.344%から0.396%です。600万円を貯金した場合、今の金利水準でしたら年間の利息収入は良くても2万円には届きません。これでは、人の消費意欲は湧きません。もし、同じ預金残高で年間の金利収入が10万円以上あったら、多くの人は金利収入の一部あるいはかなりの部分を消費にまわすでしょう。10万円の金利収入を得るための預金の金利水準は1.7%です。失われた10年を除いて、戦後の日本では預金の金利水準2%前後で家計は金利収入を得ていました。

家計部門の金融資産は1,400兆円あると言われています。その残高の54%が現金で、27%が保険・年金準備金で、残り19%が株・債券等です。ということは預金金利に敏感な金融資産は、1,400兆円の約半分、700兆円です。これを国民一人当たりに換算すると600万円前後の預金残高です。異常な低金利水準を改め、この600万円を消費を生む源泉にすべきです。戦後60年の内、50年近い間、600万円の預金は消費を生む源泉でした。バブル崩壊時の銀行救済を主目的とした超異常低金利が、銀行救済の目的を達した今でも続けられていることは、それを続ける施政者の常識を疑います。更に、マクロ的に見ると、本来淘汰されるべき企業が超異常低金利ゆえ生き残っています。21世紀に即した産業構造への転換を大きく遅らしていると考えます。

金利が金融政策の要として機能する要件は、常識のレベルに金利水準があることです。今こそ、超異常低金利を改め、国民一人当たり預金残高600万円を消費を生む源泉すべきです。その結果、国民の可処分所得は増え、更に、21世紀に即した産業構造への転換が図られるのではないかと考えます。今こそ、金利を常識のレベルに引き上げるべきです。

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2006年12月 1日

無謬神話

興味ある新聞記事を先ず引用させてもらいます。「このところ公害や薬害の裁判(肝炎、基地騒音、原爆症、水俣病、じん肺)で国が負け続けている。政策判断を誤り、無策のまま放置して被害を広げ、被害の認定基準は合理性を欠く。こんな行政の責任を司法が厳密に判断すれば、当然に、国に勝ち目はない。▼ところが、お役人たちは、国が裁判に投じるカネとヒトの不足が敗因、と思い込みたいらしい。国が被告となる訴訟が増え、訴訟を担当する参事官らが足りず、民間の弁護士を登用する予算も少ない。それが敗訴続きの一因だとして、法務省は来年度予算で増員と増額を要求するという。▼本末転倒もここまで来ると、開いた口がふさがらない。患者・被害者の高齢化が進む公害・薬害裁判で、患者救済を優先する裁判官が和解を勧告しても応じず、一、二審で負ければ条件反射のように上訴するのが役所の習い。勝ち目のない上訴をやめれば、費用も人員も十分足りているはず。▼国家賠償の費用も国が裁判に投じるカネも、同じ税金である。「役所は絶対間違わない」などという今どき誰も信じない官僚の無謬神話を守るために、これまでどれほど訴訟費用を費やしてきたことか。国が被告になる裁判が増え、そこで国が負け続ける本当の理由を、お役人に考えさせるのが、政治家の大事な仕事なのだろう。(平成18年9月5日付け日本経済新聞朝刊、春秋欄のコラム)」

この記事が指摘している“役人のすることに間違いはない”とする問題点は、課税の世界では更にひどい状態ではないかと思料します。“役人のすることに間違いはない”から更に進んで、確信犯的な“間違っていても課税してしまえ!”の風潮が課税当局にはあるのではないかと疑わせる事例が最近多々あります。“間違っていても課税してしまえ!”には少し解説がいります。例えば、連結利益に比べて本邦で支払う税金が少ない会社は、海外で多くの税金を支払っていますが日本では税金をそれほど支払っていない会社です。課税庁にとっておもしろくない(好ましくない)企業です。そのような企業の国際取引から発生する利益は、何がなんでも課税する風潮を“間違っていても課税してしまえ!”という表現にしています。

日本は租税法律主義を採っており、日本国憲法の第30条と84条が租税法律主義の根拠となっています。憲法の条文の趣旨は「税の徴収は税法に書かれた範囲で行なわれ、それ以下でもそれ以上でもない」です。私見ですが、租税負担回避のために不自然不合理な行為がなされた場合、これを否認し、通常とられるであろう行為を以って課税することは、実質課税の原則から容認出来る税務執行と考えます。しかし、その契約の内容が第三者間で取交わされる内容と同等である場合、その契約に基づく経済行為が結果として節税効果をもたらしたとしても税法に書かれた範囲を超えて、その節税分に課税することは裁量主義による課税、つまり認められない税務執行と考えます。憲法の条文の趣旨「税の徴収は税法に書かれた範囲で行なわれ、それ以下でもそれ以上でもない」から判断すると、私法上の契約の文言は尊重されなければなりません。ですから、課税されるはずのない取引が課税された企業は、当然、税務訴訟まで視野に入れて異議申立等の手続を進めるでしょう。ですから、今後、国が被告となる税務訴訟は増えることは必至です。

今後の税務訴訟に関する裁判所の判断は、納税者有利になると推測します。それは、国が裁判に投じるカネとヒトの不足が負ける理由ではなく、現在行われている裁量主義による課税が負ける理由です。しかし、負ける理由をお役人に考えさせるには実績が必要です。企業にとって税務訴訟は、不可避な選択肢になりつつあります。

2006年11月 3日

失われた感覚

私は公認会計士の試験委員をしています。公認会計士の試験委員は試験問題を作成するだけでなく採点もしなければなりません。9月中旬から10月中旬までの約一ヶ月間は試験の採点に忙殺され、今、やっとその採点からも開放されホッとしているところです。採点の忙しさを振り返って見ると思い出されることがあります。それは「失われた感覚」です。我々(団塊の世代)がもっているある感覚を、今の受験生(20代)は失っているのではないかと感じたことが採点中、度々ありました。

我々、職業会計人は数字を見て間違いを直感できる感覚が大事と思料します。例えば6桁の数値と5桁の数値を足し算した時、答えは6桁で、例外的に7桁になります。しかし、5桁の答えが出ることはありません。毎日の仕事において間違いを起こさないとは、判断ミスをしないことか、計算ミスをしないことです。特に決算書の作成業務、申告書作成業務において計算ミスは職業会計人として致命的な誤りとなります。ですから、数字を見て間違いを直感できる感覚は、職業会計人として必須な資質です。しかし、多くの受験生にその資質が欠けているような事例が散見されました。前述の6桁の数値と5桁の数値を足し算した時、5桁の類いの回答が多かったことがその理由です。

そこで、その感覚は試験に合格して公認会計士になり実務につけば身につくのかというといささか疑問です。暴論になりますが、我々の育った時代になくて、いま在るもの(あるいは我々の育った時代にあって、いま無いもの)が懸念材料です。それは電卓です。我々の育った時代には電卓はなかったです。その時代にあったものはソロバンか筆算の紙です。ソロバン・筆算世代は、計算は間違うものだと理解しているため、見直すという習慣がついています。電卓世代(今の受験生)は、電卓の計算は正しいものだと信じている感じが今回の採点から強くいたしました。

今は表計算といえばエクセルの独壇場です。エクセルで作成された資料を読む時に要求される資質はまさに数字を見て間違いを直感できる感覚です。自分で計算しなくなればなる程、数字を見て間違いを直感できる感覚が必要となります。しかし、逆説的ですが、自分で計算しなくなればなる程、数字を見て間違いを直感できる感覚は失っていきます。更に最初から数字を見て間違いを直感できる感覚のない電卓世代が中心になってきます。この危機から脱却するための施策として会計事務所には電卓を置かないが考えられますが、これはあまりに非現実的です。そこで本稿のまとめとして、異常数字直感プログラムを随所に織り込んだ新人向け研修の徹底を提案します。異常数字直感プログラムの一例ですが、間違ったエクセルシートを渡し、電卓なしで間違い探しの練習です。案外、良い方法かもしれませんが、特効薬的効果はないです。漢方薬的効果であることが難です。しかし、漢方薬的効果ゆえ、異常数字直感プログラムは継続することが大事です。まさに、“継続は力なり”と考えます。

2006年8月22日

がんばれ日本人ー追記

投稿者こばやし(しん)さん、わたなべさん、だるまちゃんのコメントも面白いです。是非、読んで下さい。また、本ブログの読者のひとりがインターネットで見つけたある話を連絡してくれました。以下がその内容です。
ある新聞社が、「お金」についての定義コンテストを企画し、最高の定義に対して賞金を出すと発表し、そして優勝した定義は「お金とは、天国以外のすべてに通じる万国共通のパスポートであり、幸福以外のすべてを与えてくれる万国共通のプロバイダーである」だそうです。「お金があっても幸せになれない」というかなり厳しい現実を定義は反映しているようです。それでは、このブログで「幸せ」についての最高の定義コンテストしましょうか?

2006年8月17日

がんばれ日本人

朝日新聞(2006/07/19~24に掲載された連載記事)の「分裂にっぽん」の記事を読むと、日本人であることが恥ずかしい気持ちにさせられます。「分裂にっぽん-その1」の冒頭は次のような文章で始まります。「税金を極力払わないですむよう(税金の安い)国を渡り歩く『永遠の旅人』になって、この町で迎える6度目の夏だ。-中略ーここは毎年6月から8月末まで。いったん帰国し、寒くなる12月からハワイで暮らす(日本での滞在日数を183日を超えないようにすると、日本で所得税を払う必要はないとの理解に基づく)」。ITと新興企業の株式公開であぶく銭を得た新富裕層と呼ばれる人々の中には、日本で税金を払わないためなら脱税も厭わないという話が延々と続きます。更に驚いたことに、その記事では、「今、日本には100万ドル(1億17百万円)以上の金融資産を持つ人は140万人居ります」と紹介されています。単純に人口比で換算すると日本人の約100人に1人は億万長者であると言うことです。”本当かいな・・・”が多くの読者の感想ではないかと思います。

話を本題に戻します。「分裂にっぽん」の記事は、我々多くの日本人が失っている部分を浮き彫りにしてくれます。20年余り前になりますが、米国に7年駐在する機会がありました。米国駐在して大きな驚きは、運良く富を得た人はその手にした富の使い方の美学を持っていたことです。世界第一位の金持であるビル・ゲイツ氏が妻と共同で運営する慈善財団へ世界第二位の金持であるウォーレン・バフェット氏が自分の財産を寄付するというニュースが最近ありました。新聞報道によれば、「人々が最も得意とする分野で、できるだけ長く働けば個人資産を膨らませることができる。そうすれば寄付を通じて社会へ還元する金額も増える。結果として、社会全体が富む」とバフェット氏は考え、金儲けをしてきたそうです。このような美学を、程度の差こそあれ、米国での成功者は皆持っておりました。その事を学んだのが私の米国駐在でした。

今の日本には、運良く富を得た人が140万人も居ます。「俺は血の出るような努力をして今の富を得たのだ!運良く富を得たなんてふざけたことを言うな」と”運良く富を得た”という表現に違和感を覚える人も居ると推察します。しかし、いくら努力しても報われない人も沢山居ます。その現実を考えると、私は”運良く富を得た”が適切なように思います。成功は、自分の努力に加えて、時の運、他者の協力、あるいは他者の犠牲によって成しうるものです。それを考えると成功に対して謙虚になることが出来ます。謙虚な気持ちを持つことで、手にした富の使い方の美学が生まれてくると思います。もう一つ大事なことは、日本人の約100人の内、99人は金運に見放されていますが、多くの人は普通の生活が出来ます。しかし、ごく僅かと推測しますが、普通の生活の出来ない弱者も居ます。そのような弱者を救うのは、国だけではありません。運良く富を得た人は、弱者に優しい社会を作る重要な担い手と考えます。

がんばれ金持日本人!せこいことはするな!

2006年5月23日

監査制度の信頼回復の好機!

金融庁は5月10日、カネボウの粉飾決算に関与していた中央青山監査法人に対し業務の一部停止命令を出しました。内容は、上場企業などに義務付けられている法定監査を7月1日から8月31日の2ヶ月間停止する極めて重い処分でした。この極めて重い処分の意味を渦中にいる会計士の方々は全く理解していないのではないかと懸念しています。処分が施行される時期が監査の繁忙期でないゆえ重い処分の意味を中央青山の延命策とそれらの人々は誤解しているのではないか推測します。次の二つの記事がその誤解を端的に現していると思われます。
「公認会計士協会は中央青山監査法人に行政処分が下ったことを受けて、混乱を避けるため、企業向けに情報を提供する窓口を十一日に設置する。中央青山の監査先企業は一時監査人の選任が必要になってくる場合もあるため、他の監査法人の情報などを提供する。会員に対しては中央青山の顧客企業への売り込みや、会計士の引き抜きなどが横行しないよう注意喚起する。(2006/05/11, 日本経済新聞 朝刊)」
「中央青山、トーマツ、新日本、あずさの四大監査法人以外の監査法人を育成することも欠かせないと会計問題に詳しい自民党議員はいう。中央青山と提携関係にあるプライスウォーターハウスクーパースが新しい監査法人を設立しようとしている。会計士の引き抜きをすべきではないと中央青山側は抵抗しており、道は平坦ではない。(2006/05/18, 日本経済新聞 夕刊)」

議論を整理するために、監査法人で留意すべき点を述べます。監査法人は、公認会計士法に基づき設立された法人で、5人以上の公認会計士を社員(法人持分を所有する業務執行役員のこと、一般的にはパートナーと呼ばれている)が必要となります。監査法人の負う債務に対して無限連帯責任をその社員は負っています。中央青山の会計士は2,000名余りおりますが、その大部分は、単なる従業員でパートナーではありません。少数のパートナーと大多数のその他の会計士を峻別して中央青山問題は議論すべきです。

カネボウの粉飾のみならず、山一証券、足利銀行の監査においても、監査法人としての多くの善管注意義務違反があった中央青山の自己改革は遅々として進みませんでした。不正防止を徹底するには会計士による自主規制だけでは不十分であると金融庁が判断を下した結果が今回の重い処分の意味と思料します。

会計及び監査の信頼性回復のためは、中央青山の解散は必要です。禊なしに信頼を回復する術はないと思料します。そのためには、パートナーは中央青山の負う債務に対して無限連帯責任を遂行すべきです。また、中央青山のクライアントに対する監査業務の中断を避ける施策も必要です。そのためにも、トーマツ、新日本、あずさ、あるいはプライスウォーターハウスクーパースが設立を考えている新監査法人、更には四大監査法人以外の中小監査法人も、パートナー以外の中央青山の会計士を積極的に採用すべきです。既にその動きが見えます。「中央青山の所属会計士300名がプライスウォーターハウスクーパースが日本で設立する監査法人に移籍(2006/05/25, 日本経済新聞 朝刊)」

監査の信頼性回復には有能な会計士を再教育し、筋肉質の監査法人に再編することが必要です。今がそのチャンスです。

2006年4月10日

課税執行上の問題点

日本は、税に関する規程をすべて法律によって定める「租税法定主義」をとっています。しかしながら、実際の課税においては、国税当局の判断に委ねられる「裁量主義」によっているのが現状です。裁量主義が納税者の視点に立った大岡裁きであれば良いのですが、課税庁にとって都合の良い論理を用いて、税金を取り易いところから取るという裁量主義ですので、問題と考えます。このような裁量主義は国税通則法第一条「この法律は、国家についての基本的な事項及び共通的な事項を定め、租税の体系的な構成を整備し、かつ、国税に関する法律関係を明確にするとともに、税務行政の公正な運用を図り、もって国民の納税義務の適正かつ円滑な履行に資することを目的とする」の精神とは、当に反するものです。つまり、実際の課税においては、国税通則法という課税庁にとっても、納税者にとっても大事なバイブルが反故にされています。憲法に定める国民の権利(租税法定主義)を確保することによって、はじめて義務(納税)の履行を国民は求められると思料いたします。