0050清談涼談の最近の記事

小池百合子都知事の活躍ぶりに多くの人は拍手を送っていると推測します。

小池百合子都知事に関して、興味深い記事がありました。文藝春秋11月号に掲載された立花隆氏の「都庁伏魔殿」の記事です。そこから引用します。【この人(小池百合子)のことを事実上ほとんど知らなかったので、私は最近「文藝春秋」のバックナンバーをひっくり返して08年1月号の小池百合子「小沢一郎と小泉純一郎を斬る」を読んでみた。これは実に面白い論文で、彼女が政治評論家としてもなかなかの人物であることがわかるから、図書館などで見つけて読むことを読者にもすすめておく。】

私の野次馬根性から当該記事を図書館なら取り寄せました。当該記事をPDF(クリックしてください)にしました。ご一読ください。

当該記事を読んでから小池百合子都知事のこれまでの言動を考えると、彼女の政治家としての懐の深さを感じます。

小池百合子都知事を大いに期待しています。

憲法を考える!

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このゴールデンウィークに友人から紹介のあった『憲法改正の真実』(樋口陽一・小林節共著、集英社新書、2016年3月発行)を読みました。"改憲派の重鎮と護憲派の泰斗による改憲議論の決定版"との本のキャッチコピーから想像すると、なにがなんでも憲法改正と憲法改正絶対反対の対決の議論と想像しましたが、そうではなかったです。

改憲派と言われる小林節氏は憲法の不備な部分は正式な手続を経て改正すべき、護憲派といわれる樋口陽一氏は憲法の改正なしに実質的に憲法の内容を変える今の風潮に異議を唱えています。

憲法第9条に不備があるなら、何処が不備であるかをもっと分かりやすく憲法学者と呼ばれる人々は説明すべきです。

憲法第9条を引用します。

  • 第9条第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  • 第9条第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

平和主義を維持するという観点から、第1項に関して小林氏、樋口氏に意見の相違はありません。つまり、第1項は変える必要がないです。次に第2項に関しては意見の別れるところです。第2項の文言から個別的自衛権は保持していると読み取れるという内閣法制局の解釈は正しいから、現時点で第2項を変える必要がないが樋口氏の意見です。それに対して、第2項の文言は曖昧だから、個別的自衛権の保持を明記すべきが小林氏の意見です。ですから、自衛隊は両者とも合憲と考えています。

両者に共通するポイントは立憲主義の危機です。樋口氏のコメントを引用します。「立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。この憲法を作ったからには永久に不変という硬直したものでもない。憲法第96条で改正手続きを定め、国会の両院で3分の2の議員が賛同するまで議論を尽くしてから国民に提起する、そして国民投票で国民が決めたらそれに従うことです。」

現在の風潮に対して、樋口氏は、知の遺産を前にした謙虚さと、他者との関係でみずからを律する品性と、時の経過と経験による成熟がもたらす価値が大事であると言っています。残念ながら与党の政治家、野党の政治家共に謙虚さ、品性、成熟度に欠けています。今は、憲法まで政争の具にしています。与党は何が何でも憲法改正を叫び、野党は、憲法改正絶対反対で、冷静な議論が行われていません。

政党や政治家の意見に従って改憲、護憲を叫ぶのは間違いと思いました。我々自身、立憲主義とは何かをもっと理解すべきと思います。

三田評論4月号にフランスの歴史人口学者、家族人類学者であるエマニュエル・トッド氏の講演録「宗教的危機とは何か」が載っていました。

トッド氏が示唆する宗教的危機を理解することはかなり難しいです。〝宗教的危機″と言うと、信者の数が減少していくことと考えます。確かにトッド氏によると、フランスのキリスト教徒は激減しています。その意味では、フランスは〝宗教的危機″に陥っています。

しかし、トッド氏は〝宗教的危機″をもっと広範囲のことと捉えています。フランスの高い失業率が問題を複雑にしています。特に若者の失業率は25%を超える勢いで、政治がこの事の有効な解決策を提供していないことが25%の若者の不満を募らせます。不遇な状態にいる若者にとってイスラムの世界は、魅力的と映るのかしれません。しかし、不遇でない多くのフランス人にとってイスラムは忌むべきもの、排除するべきものと映るでしょう。ここにイスラム教に対する必要以上の拒否反応が現れ始めています。これもひとつの〝宗教的危機″です。今のフランスは複合的な〝宗教的危機″に瀕しているとトッド氏は考えているようです。

トッド氏の「宗教的危機とは何か」を読んで、私見ですが、IS掃討を目的とした空爆より、若者の失業率改善の経済政策の方がテロ対策としては有効なような気がします。

日本銀行副総裁 中曽 宏氏が2016年2月12日にニューヨークのジャパン・ソサエティで「金融政策と構造改革」について講演されています。当該講演の邦訳を添付します。

http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2016/data/ko160213a1.pdf

中曽 宏氏は「アベノミクスで掲げる2%の経済成長を達成させるには、実証的分析から日本の労働生産性の上昇率が3%必要である。だから、アベノミクスの目標である2%の経済成長を遂げるには、労働生産性の改善が鍵を握る」と力説しています。

経済成長するには、労働生産性の改善か、労働参加率のアップが必要です。上記労働生産性の上昇率3%は、現状の少子高齢化を前提としていますので、労働参加率のアップは想定していません。すべて労働生産性の改善に期待しています。

ここから中曽 宏氏の議論から離れます。ややブラックユーモアの議論になります。

1980年から2014年までの労働生産性のアップの実績値は1.6%です。今後の労働生産性のアップが従来通りの1.6%であったら、2%の経済成長を遂げるには労働参加率が0.4%アップする必要があります。講演録の添付資料によれば、次のふたつが満たされたら、労働参加率がアップ0.4%アップするそうです。

  1. 25歳から59歳の女性の労働参加率が、2040年までに概ね2010年時点でのスウェーデン並の水準になること
  2. 60歳以上の高齢者の労働参加率が、2040年までに健康な高齢者が全員労働参加すること

特に2番目の仮定は"あり得ないようであり得るかも知れない"仮定ですので恐ろしいです。つまり、「2040年までに健康な高齢者は全員労働参加すること」とは、80歳から85歳の高齢者の内60%は元気だから、「80歳から85歳の高齢者の60%は全員働きなさい」と言うメッセージです。

「アベノミクスの目標である2%の経済成長達成」って、洒落にならない怖い話かも知れません。悠々自適な老後を過ごすことは、夢物語みたいになりそうです。

人工知能は職を奪うか

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日経の経済教室に「人工知能は職を奪うか」(2016年1月12日及び13日)の記事がありました。私自身、人工知能の与える影響に興味がありましたので、少し、調べていましたことから、この記事にはビックリしました。 当該記事をPDFにしましたのでご一読ください。

私の関心事は近未来の現実と考える人工知能万能社会で活躍する人材とは、そして、その人材を創るための教育についてです。2015年12月に人工知能型ERPを紹介するセミナーに出てビックリしたことが経緯となって、このことに関心を持ちました。ERPとは、Enterprise Resources Planning の略で現在では「基幹系情報システム」を指すようです。紹介されたソフトによると、(人事考課の分野も含めた)企業のすべての情報処理にキーボード(入力)は不要、マウスだけ必要な情報処理が出来るのでした。多くの業務が自動化できるのです。そうなると、自動化出来ない、あるいは自動化される可能性の低い職種に関われる人材が必要です。それは想像力と創造力のある人材です。

大前研一氏の言葉を借りると、「想像力と創造力のある人材は、語学と論理学を勉強した学生達である」です。語学は世界中から発信されるインターネット情報を理解するためには必至です。論理学をマスターしていれば、今までとは異なるまったく違う分野であっても自分の頭で考えることに慣れているので比較的容易に新しい分野に参加できるからです。

マスターする論理学とは、アリストテレスのオルガノンを読破、研究することではないです。求められることは、三段論法(演繹的推論)をマスターすることです。三段論法とは次のようなものです。

  1. すべての人間は死すべきものである(大前提)
  2. ソクラテスは人間である(小前提)
  3. ゆえにソクラテスは死すべきものである(結論)

自転車の乗り方の解説本を読んでも乗れるようにはなりません。自転車が乗れるようになるには実際に練習する必要があります。三段論法をマスターするには演習をたくさんすることです。そうすると正しい三段論法、間違った三段論法が判るようになります。

これからの学校教育において必要なことは、メリハリをつけた教育と考えます。私が考えるメリハリをつけた教育とは、小学校は「覚えること」、中学は「覚えることに考えること」、高校は「考えること」中心の教育です。

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