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2008年1月18日

年金徳政令

清談涼談―年金に関して興味ある記事がありました。今回はその記事を引用いたします。

 

週間東洋経済(2008126)の記事『ミスターWHOの少数異見"2008年の初夢―「年金徳政令」しかない"』は、荒唐無稽な議論ですが非常に示唆に富む年金解決策です。その記事の一部を引用いたします。

 

初夢を見た。‐‐中略‐‐世界一おとなしい国民もさすがに立ち上がり、デモの大群が社保庁を取り囲んだ。が、ここで局面は意外な展開を見せる。官邸が突如、「徳政令」を出し、5000万件の解明作業を中止すると共に、申し立てどおり全員に全額を無条件給付すると発表したのだ。列島がどよめいた。不心得な不正申請者に給付すれば、それこそ不公正の極みではないか、厚生官僚の不正追求や政治家の責任はどうするのか‐‐等々、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が巻き起こったが、すぐに国民は他に現実的な選択肢が無いことを理解した。

 

今後十年、社保庁職員にムダな給与と時間を与えても、完璧な照合はできない。その間、年金を受領できず死んでゆく国民をどうするのか。かつて国連加盟に際し、公職選挙法違反者を「大赦」した国である。それに比べれば、こちらの「徳政」の方がはるかに説得力があると言えるだろう。‐‐国民の大多数がこの「大岡さばき」を受け入れた。

 

ただし、二つの条件が付けられた。

1つ。国民年金の確信犯的未納者(49%)を含め、今後の未納者には給付しない。

2つ。社保庁関係者の年金給付額を一律5割カット。

見返りに、横領・隠蔽・不作為等の罪は免責する。

残る問題は財源だった。ところが、某グリーンピア施設撤去作業中に、金塊の山が発見された。「霞ヶ関埋蔵金」ならぬ「消えた徳川埋蔵金」が出てきたのだ。社保庁の中で一番誠実そうな人が選抜され、埋蔵金の評価に当たった。彼が叫んだ。「100兆円はある。これで"消えた年金"が帳消しになる!」。その瞬間、夢から覚めた。

 

この記事で述べられていることは、案外、有効な年金の解決策かも知れません。しかし、100兆円の埋蔵金を当てにする必要はないです。基礎年金の財源不足を補うために必要な財源は10兆円前後です。10兆円前後の埋蔵金であれば特別会計の中にあると確信しております。

2008年1月 4日

あけましておめでとうございます!

年頭のご挨拶を申しあげます。

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年の世相を反映した文字が「偽」であったこと、そして、その文字が違和感なく感じられることが残念です。そこで、平成20年年頭の言葉に代えて「義」という文字に今年の希望を託したいです。義とは「人のおこないが道理に適っていること」あるいは「正しいこと」を意味すると思料します。論語に「義を見てせざるは勇なきなり」との言葉があります。しかし、生活する中で、見て見ぬふりをしてしまうことがしばしばあります。「義」という文字に今年の希望を託すのであれば、見て見ぬふりしないことが大事なように思います。

 

本年も読者のみなさまにとって良いお年であることを祈念いたします。

2007年12月 7日

ヒトの未来を考える

清談涼談-私の独断と偏見による仮説「ヒトの性的魅力は脳の量が多いほど増す」についてです。

 

地球は生まれて45億年経ち、そして地上に生命が生まれたのは38億年前、人類はアフリカで500万年~600万年前にチンパンジーから分岐して出現、ホモサピエンス(ヒト)は10万年前~14万年前に現れています。そして、今、ヒトは世界中に住んでいます。億年単位の生命の進化・繁殖という観点から考えると、まさにヒトの繁殖は宇宙のビッグバンに匹敵するほどの爆発的人口増加です。ヒトは動物の中では成長速度が遅い部類に属します。そのヒトが何故爆発的人口増加できたのでしょうか。その答えのひとつとして「おばあさん仮説」があります。おばあさん仮説とはクリスティン・ホークスをはじめとした何人かの人類学者が唱える「ヒトの女性が自らの繁殖から解放された後、おばあさんとしてその知恵と経験を生かして自分の娘や血縁者の子育てを援助することにより、結局、繁殖成功度を上昇することができた」という仮説です。繁殖年齢と寿命は一致するように進化するのが普通です。動物は通常繁殖能力が無くなった時、寿命が尽きます。しかし、ヒトだけが例外で繁殖能力がなくなっても20年~30年と生きています。 「おばあさん仮説」という言葉に興味を引かれたことからヒトの進化に興味を持ちました。ここから先の議論はまったくの私見で、学術的根拠のない議論です。その議論を「性的魅力に関する脳量仮説」と名づけます。「性的魅力に関する脳量仮説」とは「ヒトの性的魅力は脳の量が多いほど増すという仮説」です。ヒトの脳が体重に比べて相対的に非常に大きいことは特質されることです。ヒトの脳は、生存のためだけであればチンパンジーレベルの300㏄で十分、1,500㏄も要らないはずです。何故ヒトは、チンパンジーの5倍も脳を必要としたのでしょうか? 知床に行った時、ガイドの人から「鹿の世界では、角が立派で、身体が大きく、左右対称の顔をしたオスがメスにもてる」との説明を受けました。身体が大きく、左右対称の顔はそのオスのDNAが正常であることを示しています。立派な角はメスに対する性的アピールではないかと推測します。孔雀のオスの尾羽根も立派なほどメスにもてます。鹿のメスや孔雀のメスが立派な角や立派な尾羽根に惹かれるように、ヒトの女性は詩、音楽、政治、哲学、絵画、宗教に惹かれます。ヒトの女性が性的魅力を感じる特性はすべて脳が作り出すものです。よって「性的魅力に関する脳量仮説」は強ち的外れとは思いません。しかし、「性的魅力に関する脳量仮説」はヒトの未来を考える時、危険な帰結を生む可能性があります。鹿の角が立派過ぎると森林を走るとき角が障害物になってしまいます。孔雀のオスの尾羽根があれ以上長くなると飛ぶことが出来ません。ヒトの大きな脳は孔雀のオスの尾羽根のようなものかも知れません。性的アピールを高めるための動物の進化は止め処もなく進む可能性があります。そうであれば、ヒトの脳は暴走する可能性があります。この50年の間にヒトは宇宙にも行きました。核兵器も開発しました。近年になってヒトの脳は暴走しているのかも知れません。45億年を1年に換算すると、10万年前は12分弱となります。そして、今を110000分としますと、ヒトが地上に現れたのは前年の12312348分になります。それではヒトは12分後の110012に生存しているでしょうか?「性的魅力に関する脳量仮説」が正しいとすると、ヒトはあと1分も生きていないかも知れません。ヒトがより長く生存するためには、ヒトの脳の暴走を止める必要があります。

 

2007年9月14日

今からでも人生を変えられる

清談涼談ーピーター・ドラッカーの教え子と自称している村田が実践しているドラッカーの教えの内容を披露しています。

 私は、ピーター・ドラッカーの教え子と思っています。しかし、彼の著書を多く読んだ訳でないので教え子と呼ぶのはおこがましいし、躊躇します。しかし、キリスト教徒になる条件は、聖書を創世記から黙示録まで通読することではないと言われています。聖書をすべて読んでいなくても、キリストを信じ、その教えに従う人はキリスト教徒になれると言われています。それと同様な意味で、ドラッカーの著書をすべて読んでいる訳ではないですが、私はドラッカーの教えに共鳴して、実践していることがあるのでピーター・ドラッカーの教え子と自称しています。

 ドラッカーは2005年11月にこの世を去りましたが、彼の思想は色々な人に脈々と受け継がれていてるようです。週刊ダイヤモンドがコラム"3分間ドラッカー"の記事を連載していることからも判ります。「何によって憶えられたいか?その問かけが人生を変える」いう見出しの"3分間ドラッカー"の記事がありました。しかし、この記事の見出しは判り難いです。この見出しを「私はタイガー・ウッズを負かした男として憶えられたい!どうしたらいいのか?その問かけが人生を変える」のように読み替えるとわかり易いです。しかし、上記問いかけは、私自身のものではありません。私自身への問いかけは、「国際税務の分野の第一線でこれからも働きたい!どうしたら働くことが出来るのか?」です。

 そして「その問かけが人生を変える処方箋となる」とドラッカーは著書の中で書いています。私の問いかけ「国際税務の分野の第一線でこれからも働きたい!どうしたら働くことが出来るのか?」に対する処方箋はどうやって書くのでしょうか。処方箋を書くのにコンサルタントは不要です。彼は、自分自身のSWOT分析を行うことで自分の問いかけに対する処方箋が書けると言っています。まさにその通りです。私が実行しているSWOT分析を披露いたします。

 自分のSWOT分析で必要なものは、メモ帳と鉛筆、そして疲れた時に読む池波正太郎とか藤沢周平の文庫本一冊だけです。ポイントは、職場から、家庭から丸1~2日離れて自分の時間を持つことです。誰からも邪魔されない環境に自分を置き、五枚の紙を用意します。一枚目は"Strengths"との見出しを書き、二枚目には"Weaknesses"、三枚目には"Opportunities"、四枚目には"Threats"、最後の紙には"Action Plan"の見出しをつけます。そして、それぞれの見出しに関係する自分のことを思いつくまま箇条書きします。それも焦らずゆっくりとやることです。そうすることで自分のことを色々と考えます。自分の心の叫び、苦しみ、喜びの声を聞くには、時間をかけるプロセスが必要なようです。一枚目から4枚目まで出来たら、五枚目にこれから一年間にやることを書き記します。このプロセスを継続することで、自分の問いかけに対する処方箋が出来てきます。その処方箋に従うと出来ないと思っていたことが不思議と可能になります。ですから、ドラッカーの教え子になれば、「今からでも、人生は変えられる」のです。

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2007年8月17日

情けは人のためならず

清談涼談ー「情けは人のためならず」という格言の理解の大いなる誤解がありました。

武田信玄の言葉として有名な人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なりに大いなる共感を私は持っています。また、私が税理士法人の代表であった時、経営者の務めは組織に人財をつくることであると考えていました。与えられた経営資源の中で、優秀な人材を組織の人財にする施策をとることは意外と難しいものです。そのためには、人材に情けをかけてあげることです。そして、それは時間と根気のいる作業です。仕事上、情けをかけるとは信賞必罰を前提にした上で、すべての者に敗者復活の機会を与えることではないかと考えています。自分自身の短期的利益だけを考えていると、失敗した部下を「出来ない部下」として切捨ててしまいます。それを安易に切り捨てないことが大事ですが、“言うは易く、行うは難し”です。敗者復活の機会を与えるには、機会を与えるサイドに心の拠りどころが必要です。人材に情けをかける時、私の心の拠りどころとなった言葉が「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」でした。

巷間でよく言われている情けは人のためならずは、信玄の言葉とは逆に敗者切捨てのように感じられて合点がいきませんでした。しかし、この言葉には後半の部分の言葉が省略されていることを最近知りました。「情けは人のためならず」のあとにめぐりめぐって己がためという言葉が続きます。そうすると武田信玄の言葉と一脈が通じるところがあります。

情けは人のためならず」という格言の理解の大いなる誤解がありました。また、情けは人のためならず、めぐりめぐって己がためめぐりめぐって(“直ぐには来ないが必ず来る”)の部分は非常に含蓄があります。

色々な意味で人に情けをかけることは大事と考えます。

 

2007年5月 2日

青春

清談涼談ーサムエル・ウルマンが78歳の時、書いた詩" YOUTH "は、元気が出る詩ですので紹介いたします。彼の詩は多くの人が翻訳していますが、ここでは杜祐祠さんが翻訳したものを掲載しています。

青春

作:サムエル・ウルマン (翻訳:杜祐祠)

若さとは、肉体的青年期をいうのか。いや、心の持ち方をいうのだろう。若さとは、バラ色の頬、真っ赤な唇、柔軟なひざをいうのか。いや、願望、想像力、気力をいうのだろう。人生の春の瑞々しさをいうのだろう。  

若さとは、求めることに臆病であるより勇気を重んじる気質であり、易きに流れるより冒険を求めることである。若さとは、しばしば20歳の肉体でなく、60歳の人に宿っている。単に歳を重ねるだけで、人は老いることはない。理想を捨てた時、はじめて人は老いる。 

歳月は、身体に皺を作るかもしれない。しかし、熱情を失った時、心の皺は、突然生じる。不安、恐れ、不信は心を痛め、心は灰となるだろう。

60歳であろうと16歳であろうと、未知にとりつかれる、次に何が起こるかを期待する子供のような心、まるでゲームのように生きることの喜びを人は誰でも持っている。人が示唆する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を!神が啓示する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を!あなたの受信機で受け止めることが出来る限り、あなたの若さは保たれる  

アンテナを低くすると、批判は雪のように心に積もり、悲嘆は氷のように心を覆う。その時、たとえあなたが20歳でも、あなたは老いる。アンテナを高くし、希望のシグナルを受取る限り、たとえ80歳を一期として人生を終わるとしても、その時、あなたは若い。

 

あまりに便利な世界に囲まれていると、見えなくなるものが多々あります。そのひとつに「若さ」があります。若さを保つため、我々は血液サラサラ健康法、身体に良い運動等に多くの時間とおカネを費やしています。ウルマンのいう「若さ」は、我々の健康法では得られない若さです。自分の心のシグナルを謙虚に聞きなさいとウルマンは言っているようです。自分の心のシグナルを謙虚に聞くとは、「神が啓示する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を」感じる感性が必要ではないかと思料いたします。

ここに原文を添付します。

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2007年3月30日

ニューヨークの風

私のお気に入りブログ“黒田由貴子とルークのブログ”に「ニューヨークの風」という記事が載っていました。興味ある記事ですので、当該記事を引用させてもらいます。

ニューヨークの風ー小学校の幼馴染みに、画家がいます。ニューヨークに住んでいますが、毎年、日本で個展を開いています。彼がブログに自分の作品を掲載し始めました。私がボストンに留学していたころ、ニューヨークに遊びにいくたびに世話になっていたので、恩返しに彼の作品を宣伝しています。小学校のころ悪ガキだったことを思うと、どうしてこんな繊細な画風になるのか、さっぱりわからないけど、彼の作品(NEW YORK KAZU STUDIO)を見ていると、アメリカがとっても優しくみえるから不思議です。優しい気持ちに触れたくなったら、見てみてください。

ブログに掲載されている絵はお勧めです。癒されます。

2007年3月 2日

三輪清浄

ある雑誌を拾い読みしていたら三輪清浄(さんりんしょうじょう)という言葉が飛び込んできました。語感が心地よいので、早速意味を調べてみました。三輪とは能施(物を贈る人)、所施(物を贈られる人)、施物(贈られるもの)のことだそうです。清浄は読んで字のごとく清らかでけがれのないことの意味でした。大事な仏行のひとつに三輪清浄の布施があるそうです。布施は恵み施す行為であり、相手を思いやる心であり、無償の行為で見返りや何かの功徳を求める気持ちがあってはならないとされています。三輪清浄の布施を通して、施しの喜びを味わい、また執着、物欲からの解放されていくことが出来ると仏教では教えています。

しかし、我々の行為は、三輪清浄の布施とは意を異にする場合が多いです。特にビジネスの世界で贈るという行為は、打算、計算が先にたちます。私はそれが悪いとは言いませんが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」の喩えの通り、打算、計算だけのビジネス人生では空しいものとなるでしょう。宗教の教えに盲目的に従うことは出来ない私ですが、普通の生活では感謝とか恩返しとかは大事と考えています。感謝の気持と共に人にものを贈ることは、自分の喜びであり、多分、贈られた人も嬉しいと勝手に思っています。

ビジネスの世界では、ステークホルダー(企業の経営活動、企業の存続や発展に対して利害関係を有する個人や法人のこと。具体的には、従業員、株主、金融機関等債権者、得意先、仕入先、地域社会、行政機関など、企業を取り巻くあらゆる利害関係者を指す)を満足させる必要があると言われています。企業経営者はすべてのステークホルダーに対して三輪清浄の気持を持って接しているのでしょうか。成功している企業経営者は、従業員に対して三輪清浄の気持をある程度持っているように思います。しかし、地域社会、行政機関への貢献となると事情は一変すると思料いたします。三輪清浄は清らかでけがれのない関係があって、はじめて成り立つものと思料します。ステークホルダーとしての地域社会、行政機関は、やや独善的で聞く耳を持たない傾向があります。企業は地域社会に貢献するのが当然であるとして寄付が慫慂(しょうよう)されたりします。企業にとって行政機関への具体的貢献は、税金の支払の形をとります。しかし、税金の支払は慫慂ではなく強制であります。ですから、税金を徴収する方は強制力がある故に謙虚でなければならないと解します。徴収した税は歳出として支出されます。行政機関は徴収した税金を無駄なく有意義に費消すること、そして、それを正しく開示することが求められます。このことを怠っている行政機関は謙虚でないです。

三輪清浄には清らかでけがれのない関係が必要です。ステークホルダーとしての地域社会、行政機関と企業の関係を見ると、私見ですが、改善が必要となるのは前者ではないかと考えます。

2006年12月29日

私的Web2.0

コメント投稿者、こばやし(しん)さんが、税金サイトの投票ランキングで「村田守弘のブログ」が 上位にランクされていることを連絡してくれました。投票ランキングがどのようになされているのか皆目見当が付きませんが、「村田守弘のブログ」が上位になっていることは、世間でいうWeb2.0効果ではないかと思います。

個人が発信する情報が検索エンジンを通じて多くの人に伝わることは数年前には想像できませんでした。Web2.0環境(検索エンジンの高度化等)の下では、マスメディアに代表される太く短く大量の情報提供に拠らなくても、多くの人に情報を提供することが可能になります。Web2.0の入門書(「Web2.0超入門講座」小林祐一郎著、インプレストジャパン発行)を読むと、ロングテール、集合知という言葉がよく使われています。私なりにロングテールを解説すると“細く長く少量の情報提供”になります。“細く長く少量の情報提供”をもう少し解説しますと(組織でなく)個人が、継続的に、コツコツと情報発信する状態と考えています。更に、上記入門書では集合知が利用できるようになることがWeb2.0の必要条件のひとつであると書いてあります。集合知が利用できるとは小さな情報を沢山集めて、新しい価値を付加えて提供することだそうです。

ブログ情報を集合知に変容させるには、個々の情報の質が非常に重要になってきます。個々の情報はそれぞれ高い価値を持っていることが必要です。屑をいくら集めても宝の山に変容することはないでしょう。独断と偏見の分析ですが、「村田守弘のブログ」が上位になっていることはロングテール情報(定期的にブログを更新した結果)が集合知に変容してきたことではないかと推定されます。

ブログ記事は書かれた1分後にはブログ検索の対象になると言われています。このようにしてWebには爆発的にブログ記事が入ってきます。更にマスメディア発の情報も加われば個人が手にする情報は、天文学的な量になります。Web2.0時代の情報の付きあい方がいまひとつ私は解りません。情報が錯綜したり、読者を混乱させたりすることを情報発信者は、避けなければならないと考えています。私のブログにアクセスした人にとって(税金なんて)好きでもないけど、押さえておきたい重要ポイントが短時間に入手できる窓口サイトが理想です。私的Web2.0のキィワードはユーザーの視点に立った(1)ロングテール情報の提供、(2)集合知の創造、(3)窓口サイトの役割です。

色々書きましたが、ITの知識がない私に情報発信の術を与えてくれたブログは、まさに私をWeb2.0社会の一員にしてくれたようです。

2006年10月 6日

「幸せ」の最高の定義発表

皆様のご協力ありがとうございました。

幸せの最高の定義を発表させてもらいます。幸せの最高の定義は「愛する人から愛されること」に決定いたしました。

エントリーのあった「幸せ」の定義のいくつかを紹介いたします
Aさんー幸せとは、自分にとって大切な人たちが仲良く健康であること
Bさんー健康でいられること
Cさんー今、生きていること
Dさんー幸せとは、自分でいつでも作れる心の栄養剤
Eさんー幸せはあなたの心に宿るもの(おカネの価値ではなく心の満足度)
Fさんー愛する人から愛されること
Gさんー愛されること
Hさんー愛と勇気と少しのお金に不自由がない状態
I さんー執着するものがある状態

Hさんは幸せの定義の説明をしてくれました。その説明は、多くの人の気持を代弁していると思い、送ってくれた全文を掲載いたします。幸せってなんだろうと思います。悩みがないこと。健康でいること。お金に不自由しないこと。愛情に恵まれていること。美味しい物を食べること。何かの目的に向かってがむしゃらに頑張っているとき、それこそ幸せの定義なんて考える暇もないほど一生懸命なとき、それが幸せなのかも知れません。人それぞれ色々な定義があると思います。結局「幸せとは自分が幸せと感じられること。」なんじゃないかなと思います。チャップリンは映画ライムライトの中で「人生に必要なのは愛と勇気と少しのお金」というメッセージを贈っております。これって結構重要なんじゃないかと最近思います。「愛」する人がいなかったら生きていてこれほど寂しい事はありません。「勇気」がなかったら仕事も家庭もうまくいきません。「少しのお金」がなかったらお腹も減るし、人間関係もギクシャクするかもしれません。チャップリンの真似で申し訳ありませんが、幸せとは「愛と勇気と少しのお金に不自由がない状態をいう。」と定義させていただきたいと思います。

I さんの定義は少し解説がいります。I さんの解説を引用します。幸せとは、「執着するものがある状態」だと思います。家族でも恋人でも、仕事でも趣味でも、あるいはお金でも、執着するものがあるということは、手放したくない=死にたくないと思う事であり、すなわち生きたいという希望を持っている状態だからです。

因みに広辞苑を引いてみました。しあわせとは、「①出会い、機会、天運、②ぐあい、③幸福、幸運、好運をいう」でした。広辞苑の定義より皆様の定義の方が分かり易いです。それから興味深い点があります。「人を愛すること」をストレートに幸せの定義としてエントリーした人は居ませんでした。人は愛することより愛されることに幸せを感じるようです。愛することは多くの場合、相手に裏切られることにも通じます。多分、そのことから幸せの定義としてエントリーされなかったのかもしれません。愛されている場合、裏切るのは相手ではなく自分です。人間は案外勝手なものです。そんなことを考えると愛されることはスゴイことだなぁと思います。

私の独断と偏見で「幸せ」の最高の定義を選びました。判定基準は愛です。Fさんの”愛する人から愛されること”は、やゃ求めすぎのきらいがありますが、それだからこそ「幸せ」の最高の定義として相応しいです。Fさんには図書券を贈呈いたします。それから特別賞としてI さんの幸せとは、「執着するものがある状態」を選びます。なかなか、含蓄のある定義です。I さんにも図書券を贈呈いたします。

2006年7月13日

リーダーの資質

 新幹線の中にある雑誌(WEDGE7月号)を読んでいましたら、興味ある記事が目に留まりました。

それはリーダーの資質についてです。興味ある記事で引用されていた呂新吾(中国、明の時代の碩学の人)が言うリーダーの資質は次の通りです。1)深沈厚重(深く考え、落ち着いている)2)磊落豪雄(細かいことにこだわらず、度量が大きい)3)聡明才弁(判断力があり、弁が立つ) 自分自身、通算10年近くある組織の代表の地位にいました。その地位を今年の3月末に降り、組織人から個人になりました。今は、代表であった時の自分を振返る良いチャンスのような気がします。自分がトップであった時を振り返りながら、リーダーの資質について議論してみたいです。事業運営するにあたって、連戦連勝はあり得ないです。そこで、私は、如何に負けを少なくするか、そして大きな負けになるような勝負はしないを経営の要諦としました。また、トップとして公私混同は慎むを自分に対して厳しく課していました。それと出来るだけ従業員との対話を大事にしてきました。トップであった期間の自分を自己採点すると、”大きな負けになるような勝負はしない” と”公私混同はしない” は100点に近いと自信を持って言えます。しかし、”従業員と対話する” に関しては60点くらいが率直な気持ちです。組織が100名前後の時は、特別な努力なしで従業員との対話が可能でした。しかし、300名を超すような組織になった時から、全従業員と対話することは無理と判断して、30名前後の主要メンバーとの対話中心に切替ました。その結果、従業員との直接対話の機会が著しく減ったことは否めないです。それが”従業員と対話する”の自己採点が低い理由です。記事を読んで気付いた点は、呂新吾が言うリーダーの資質はある程度あったような気がしますが、天賦の資質として私にあったとは思えません。自分が経営において大事にしてきた”大きな負けになるような勝負はしない”、”公私混同はしない”、”従業員と対話する”を実行する際、呂新吾が言うリーダーの資質の足りない部分があることに気付き、その足りない部分は補う努力をしてリーダーとしての面目をなんとか保つことが出来たのではないかと思料いたします。もう一つ付加えれば、愚直に”公私混同はしない”を守ることで、リーダーとして村田は信頼出来るの安心感(リーダーの品格)を従業員に与えることが出来たのではないかと推測しております。呂新吾が言うリーダーの資質のすべてが100点満点でも、リーダーとしての品格のない経営者は落第です。そのような経営者がみんなのやる気を起こさせることは出来ないでしょう。私は呂新吾のリーダーの資質に改定を加えたいです。改定版リーダーの資質は以下の通りです。

  1. 公私分別”(公私混同はしない)
  2. 深沈厚重(深く考え、落ち着いている)
  3. 磊落豪雄(細かいことにこだわらず、度量が大きい)
  4. 聡明才弁(判断力があり、弁が立つ)

2006年5月14日

生命(いのち)は温かい

私のブログを読んでいる友人から、「村田さんのブログは、ブレーキとかハンドルにあそびのない車みたいですね!」との意見が寄せられました。ブログに専門性を持たせるため、敢えて、あそびを入れなかったことは事実です。あそびのないブログは、潤いがありません。読者にとっても、たまには肩の力を抜いた記事が息抜きとして必要でしょう。そこで、今日は税と関係ない話です。
動物園を題材にしたTVの番組の中で、飼育係を演じている俳優の台詞「私が飼育係として、動物を飼育していると本当に“生命(いのち)は温かい”ということが実感できます。だから、私は・・・」が妙に心に響きました。“生命(いのち)は温かい”という至極簡単なことを実感することを、我々はもっともっと体験すべきではないかとTV番組を見ながら強く感じました。“生命(いのち)は大切に!”と言う言葉は誰もが何百回も聞いていますが、“生命(いのち)は温かい”を経験した人はどれだけの人がいるのかなと不安になりました。我々家族の一員に体重12kgの桃太郎と言う名前の犬がいます。その“モモ”が甘えて、時々私にダッコをおねだりします。ダッコするとフサフサした毛に覆われた彼は本当に温かいのです。そんな温かいという感触は、毎日散歩に連れていくだけでは、餌を朝夕二回定期的に与えるだけでは得られません。普段の対人関係も「俺はやるべき事はやっている」と自分を正当化していますが、実は犬を散歩に連れていくだけ、餌を朝夕二回定期的に与えるだけと五十歩百歩かもしれません。温もりは体感しないと感じられないものです。最愛の人の手を触れてみてください。きっと温もりを感じることでしょう。“生命(いのち)は温かい”ということが実感できるでしょう。