0070杜祐祠さんの作品の最近のブログ記事
みなさまが贈られてうれしい詩を杜祐祠さんが紹介しています。
「祝婚歌」
作:吉野弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり
ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
秋は、結婚する人が多い季節です。これから新しい船出をするカップルに吉野弘さんの祝婚歌を贈って下さい。また、何十年も前に結婚した人も祝婚歌を読んで見て下さい。長い結婚生活で忘れてしまった大事なことを思い出させてくれるかも知れません。
杜祐祠さんの作品ー杜祐祠さんの詩「感動」を紹介します。
感動
君は感動することを忘れたのだろうか
君は言う、
映画を見ていると感動に涙することがあると
君は言う、
スポーツを見ていると感動に涙することがあると
そんな感動はごみ箱に捨ててしまえと僕は言う
僕は思う、
ごみ箱に捨てる感動さえ自分は持っていないと
僕は思う、
感動することさえ自分は忘れてしまったのだと
ある日、感動という名の雷鳴が心に突然とどろいた。
雷と共に激しい雨が心の中にふってきた。
僕はその雨の中に傘もささずに飛び出した。
僕は感動することを忘れたのだろうか
君は言う、
雨の中に傘もささずに飛び出した貴方は感動的だったと
僕も言う、
雨の中に傘もささずに飛び出した僕は感動を覚えたと
僕は感動することを忘れたのだろうか
君は言う、
すべてが感動的よ、映画、スポーツ、そして貴方の人生
僕も言う、
すべてが感動的だ、映画、スポーツ、そして我々の人生
清談涼談ーサムエル・ウルマンが78歳の時、書いた詩" YOUTH "は、元気が出る詩ですので紹介いたします。彼の詩は多くの人が翻訳していますが、ここでは杜祐祠さんが翻訳したものを掲載しています。
青春
作:サムエル・ウルマン (翻訳:杜祐祠)
若さとは、肉体的青年期をいうのか。いや、心の持ち方をいうのだろう。若さとは、バラ色の頬、真っ赤な唇、柔軟なひざをいうのか。いや、願望、想像力、気力をいうのだろう。人生の春の瑞々しさをいうのだろう。
若さとは、求めることに臆病であるより勇気を重んじる気質であり、易きに流れるより冒険を求めることである。若さとは、しばしば20歳の肉体でなく、60歳の人に宿っている。単に歳を重ねるだけで、人は老いることはない。理想を捨てた時、はじめて人は老いる。
歳月は、身体に皺を作るかもしれない。しかし、熱情を失った時、心の皺は、突然生じる。不安、恐れ、不信は心を痛め、心は灰となるだろう。
60歳であろうと16歳であろうと、未知にとりつかれる、次に何が起こるかを期待する子供のような心、まるでゲームのように生きることの喜びを人は誰でも持っている。人が示唆する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を!神が啓示する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を!あなたの受信機で受け止めることが出来る限り、あなたの若さは保たれる
アンテナを低くすると、批判は雪のように心に積もり、悲嘆は氷のように心を覆う。その時、たとえあなたが20歳でも、あなたは老いる。アンテナを高くし、希望のシグナルを受取る限り、たとえ80歳を一期として人生を終わるとしても、その時、あなたは若い。
あまりに便利な世界に囲まれていると、見えなくなるものが多々あります。そのひとつに「若さ」があります。若さを保つため、我々は血液サラサラ健康法、身体に良い運動等に多くの時間とおカネを費やしています。ウルマンのいう「若さ」は、我々の健康法では得られない若さです。自分の心のシグナルを謙虚に聞きなさいとウルマンは言っているようです。自分の心のシグナルを謙虚に聞くとは、「神が啓示する美しさを、希望を、励ましを、勇気を、力を」感じる感性が必要ではないかと思料いたします。
ここに原文を添付します。

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