椿さんとの思い出

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教会員のひとりである椿悦蔵さんが516日に天に召されました。その悦蔵さんとの思い出を綴った手紙がテオ牧師の娘さん(現在、米国に留学中)から来ました。その手紙の内容を公開することに対して快諾をもらいましたので、ここに披露いたします。

 

*****

平成22年5月22日

 

椿さんへの思い

 

デボラ&キャリス テオ

 

椿さんは、私たちの祖父のような人でした。私たちがすべてを思い出すには、数が大すぎます。それくらい沢山の思い出があります。私たちが成長する過程において椿さんが示してくれた愛の伝え方のいくつかを思い出し、それをこの手紙書くことにしました。

椿さんで思い出すことは、親切心寛大な心もてなしの気持ちを持った人ということでした。

 

親切心

デボラより -- 私に示してくれた椿さんの親切はたくさん例がありますが、一つの事柄が印象的です。それは、私が東久留米にある学校の寮に移る時のことを思い出しました。引越しが上手くいくようにと、椿さんは、私たち家族と私を東久留米まで運転してくれました。その出来事は何年も前のことですが、椿さんがくれた親切を今でもはっきりと思い出すことができます。

 

キャリスより -- 椿さんは、本当に親切な方でした。椿さんは、自分自身が楽しみたいことを回りの人と分かち合うことが大変好きでした。私たちが幼かった頃、椿さんは、多くの映画のDVD、「ターザン」、「マイフェアレーディ」、「雨に歩けば」、「チキチキバンバン」を貸してくれました。それらの映画が好きだったので、何回も何回も見ました。少し大きくなったら、椿さんは、私たちに韓国ドラマを見ることを勧めました。そのドラマの結末はどうなるのだろう思い何時間も見てしまいました。これら外国の映画を録画するために沢山の時間を費やした椿さんに感謝します。

私が大学に行った時、私はアメリカにショートブレッドを持っていきました。それは、家庭にあったなにかが来たようでした。それを食べている時、日本のかおりを姉と私は、感じました。

 

寛大な心

デボラより -- 椿さんの寛大な心に関してですが、それは、仔細な出来事のように見えますが、子供の私にとって大きな出来事がありました。小さい時ですが、私は折り紙を折ることが好きでした。椿さんと尚子さんが折り紙の束と、はさみをイトーヨーカ堂で買ってきてくれました。私は、なんて素晴らしい贈り物だろうと思ったことを今でも思い出します。それは、私が興味あるものを知って、椿夫妻がわざわざ贈り物をするために買い物してくれたことです。それは、私にとってスゴイことでした。

 

キャリスより -- 私が大学での日本語を学んだ初めての学期が終わった時、私は自分の勉強が思ったほど進捗していないことにひどく落胆しました。勉強を続けられるのか解からなくなりました。しかし、椿さんは、日本語と英語が併記された聖書を気前よく私に買ってくれました。そして、その年のクリスマス・プレゼントとして贈ってくれました。それは、私に日本語の勉強を続ける勇気を与えてくれました。勉強を続ければ、いつか、私は日本語で聖書を読めるようになると確信させてくれました。それは、私にとってはじめての日本語の聖書で、今でも、大切な宝物です。

 

もてなしの気持ち

デボラとキャリスより -- 椿さんの家を訪問した時、いつも歓迎されている、愛されていると感じました。美味しいショートブレッド、胡麻の入ったクッキー、焼きたてのロールパン、クリームパフ・アイスクリーム、そしてお茶が用意されていました。韓国のドラマを取り上げた雑誌を読んだり、数独ゲームに興じたりした楽しい思い出が一杯です。私たちは、椿さんのもてなしの気持ちを決して忘れないです。

 

 

私たちは、椿さんの孫娘のような気持ちです。寂しいです。椿さんの居ない日本を想像することは出来ません。椿さんは、心から愛され、そして、これからも慕われる方です。

 

デボラ、そしてキャリスより

あなたの香油のかおり

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 旧約聖書の「ソロモンの雅歌」の一文【あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く、あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名は注がれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。】

 上記のあなたの香油のかおりは、"香り"と似て非なるもののような気がします。むしろ"輝き"(Radiance)に近い意味のような気がします。聖書では、油そそぎという表現をよくしますが、油そそぎとは神の栄光を意味していると理解しています。

 最近、聖書で言うようなかおりのする人が、少なくなってきているようです。経営者は経営者としてのかおりを、政治家は政治家としてのかおり、弁護士は弁護士としてのかおりもっともっと醸しだす必要があると思います。それぞれの業界の伝統を重んじながら、愚直に努力を重ねる人からはじめてかおりが生まれると思います。そうして生まれたかおりは、ソロモンの雅歌で歌われているように誰からも慕われものと思います。

十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえったことに関して、多くの人の反応は次のようです。

1.       合理主義者は、科学的根拠からよみがえりなんて有り得ないと言います。

2.       信じない者は、現実の起こった事実を無視します。

3.        疑う者は、よみがえりに関する事象について、しつこく質問します。

4.        気にしない者は、よみがえりは真実かもしれないが、自分には関係ないとの立場をとります。

5.        無視する者は、よみがえりが起こり得るとした史実を知らないので、議論に入れません。

6.        敵対する者は、よみがえりが議論されることに怒りを覚えます。

 

そのような反応をする人々を批判することは妥当でないです。人が死んだ時、その人がよみがえることは想像出来ないですから、上記のような反応をすることが至極自然です。

それでは、何故、クリスチャンはよみがえりを信じることができるのでしょうか?それは信仰の力に依るのです。

イエスの宣教を直接聞く機会のあった者の何人かは、十字架に架せられたイエス、墓場に葬られたイエス、そして、三日目に墓穴から居なくなったイエスのことを目撃したのです。その者は、聖書で預言されたことがイエスの下で成就したと信じることが出来ます。この信じる気持ちが信仰の力です。その後、この信仰の力は、イエスを信じる者に依って脈々と伝えられてきています。イエスを信じる人と知り合うことの出来る人は幸いです。

今年の復活祭(ふっかつさい)は、44です。

 

復活祭は十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目によみがえった日を意味しており、「復活主日(キリストが復活した日曜)」とも言われます。

英語で「イースター」と言いますが、これはキリストの復活の意味ではなく、ゲルマン人が春の到来を祝う祭りの時の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前から来ていると言われています。卵(イースター・エッグ)や多産の象徴であるウサギ(イースターバニー)は、春の到来を告げる印しを象徴しています。

 

当教会では、44日をキリストが復活した日曜として礼拝します。是非、ご参加下さい。

 

本年の「復活主日」は4月4日です。旧約聖書からキリストを見てみます。

イザヤ書は、イエスの時代から約700年前に書かれたものです。その中の旧約聖書イザヤ書53章は、キリスト(救世主)が如何に我々の目の前に現れるかを予言したものです。イザヤ書53章が予言した人物(彼)の部分をキリストと置き換えると、当に新約聖書のマタイの福音書27章、あるいはルカの福音書23章を読んでいるようです。ここにイザヤ書53章を引用します。

 

彼=キリストは主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼=キリストには、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼=キリストを尊ばなかった。 まことに、彼=キリストは私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

 

だが、私たちは思った。彼=キリストは罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

 

しかし、彼=キリストは、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼=キリストへの懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼=キリストの打ち傷によって、私たちはいやされた。

 

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼=キリストに負わせた。彼=キリストは痛めつけられた。彼=キリストは苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼=キリストは口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼=キリストは取り去られた。彼=キリストの時代の者で、だれが思ったことだろう。彼=キリストがわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

 

彼=キリストの墓は悪者どもとともに設けられ、彼=キリストは富む者とともに葬られた。彼=キリストは暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼=キリストを砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼=キリストが、自分のいのちを罪過のための生贄とするなら、彼=キリストは末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼=キリストは、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しい下部=キリストは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼=キリストがになう。 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼=キリストに分け与え、彼=キリストは強者たちを分捕り物として分かちとる。彼=キリストが自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼=キリストは多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。

日曜礼拝

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聖日礼拝を毎日曜日午前10時30分より実施しています。神を信じるようになりたい!信仰を持ちたいと考えている方是非、参加して下さい。また、礼拝の後、簡単な食事を食べながら歓談の時を持っています。

キリストが十字架の刑に科せされる前に重要な役を演じたのは、ペテロ、ユダ、そしてピラトでした。しかし、わずかですが聖書に登場したピラトの妻は、神を信じる者(信じたい者)に重要な示唆を与えてくれます。

 

マタイの福音書2719節を引用します。『また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめにあいましたから。」

 

異邦人ピラトの妻は「あの正しい人にはかかわり合わないでください」と、ピラトに頼みました。イエスのことを「正しい人」と表現しています。神が夢の中で彼女に語りかけたことの内容、つまり、キリストは「正しい人」つまり、「神の子」と信じたのです。

 

神は、夢・感性・第六感という手にすることがないものを通して神の意思を伝えます。なぜ、神は異邦人ピラトの妻に、夢を通して語りかけたのでしょうか。女性は、夢・感性・第六感というものを聞く力が、男性に比べて長けているからと考えます。神は、女性の特性を生かしてピラトの妻に神の意思を伝え、伝えたい人、つまり、ピラトに神の意思を伝えるのです。ピラトの妻の名前は、プロクーラ・クラウディアといいます。彼女は死人を蘇らすような奇蹟をしたわけではありません。唯、神の言葉を受け入れ、それを実行したのです。唯、神の言葉を受け入れ、それを実行するは、案外難しいものです。我々は偉そうなことを口にしますが、実行が伴わないことが多いです。当に「言うは易く、行うは難し」です。我々は、ピラトの妻のようになりたいです。

今回は、日曜礼拝ではあまり語られない話です。それは、キリストを裏切ったユダが自殺する直前の行動の話です。彼の行動は、我々が大きな間違いを犯さないために大変示唆に富む話と考えます。該当する聖書の箇所を引用すます。

そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪【死刑】に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。 それで、彼【ユダ】は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。 (マタイの福音書第27章第3節から5節)

 

多分、ユダの考える救世主は、ローマ軍を追っ払ってくれる兵力を持った強い王を考えていたと想像されます。この考えは当時の多くのユダヤ人の考える救世主像と一致します。ユダは、おカネに汚い人間、つまり、非常に自己中心的な人間です。ユダは、王の側近になることで権力を握りたいと考えキリストと3年間寝食を共にしたのです。しかし、判ったことは、「キリストはユダの考える救世主ではなかった」ということです。王の側近にいることで権力を握りたいと考えていた彼の夢が瓦解してしまったのです。ユダがキリストを裏切った理由は、彼の夢が破れたからでしょう。自分の夢が破れた時、人は誰でも裏切る可能性があります。つまり、誰でもユダになってしまう可能性があるのです。

 

大事な人を裏切ったらユダのようになってしまうのでしょうか?しかし、「心配する必要はない!」です。地獄行きの切符を天国行きへの切符に乗り換えることが可能だからです。そのためには、次のふたつが答を用意してくれます。

1.        間違いに気付いたら、後悔ではなく、悔い改めることです。

「後悔」は、過去を悔やみ、過去を振り返り、過去に縛られた心の状態です(「あんなことやらなきゃ良かったのに・・・」と思うだけ、反省がないです)。一方、「悔い改め」は、自分の過ちの中から、何かを学び(反省があります)それを未来へとつなげる行動につながります。

2.        救いは、祭司長や長老ではなくキリストを求めることです。

引用した聖書の箇所の祭司長や長老は、聖職者の衣服を身に付けていますが、心は汚れているのです。キリストの衣服はボロですが、心を清いのです。間違った人に救いを求めてはいけないのです。

聖書を読んでいない人でも知っている非常に有名な話を取り上げます。それは「キリストが捕らえられた翌日、早朝の鶏が鳴く前に、ペテロが三度、キリストを知らない」と言う話です。該当する聖書の箇所を引用すます。

 

イエスは彼に言われた。「まことに、あなた(ペテロ)に告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなた(ペテロ)は三度、わたしを知らないと言います。」(マタイの福音書第26章第34節)

それからユダの裏切りによりキリストは、捕らえられます。ユダヤ教の祭司長達に扇動された民衆は、キリストに傍若無人の振る舞いをしている時、女中のひとりが来て言いました。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」しかし、?ペテロは、みなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言いました。次に「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」と言われました。それで、?ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言いました。別の者が「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言いました。すると?彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めました。するとすぐに、鶏が鳴いたのです。(マタイの福音書第26章第70節から74節)

 

ペテロはキリストを知らないと嘘をつきます。一度目の嘘は、みなの前で打ち消すだけです。二度目の嘘は、「誓って」と言っています。そして、三度目の嘘は、「のろいをかけて誓って」と言っています。呪いは、死をもたらします。それぐらいの大嘘をペテロはついたのです。いちど嘘をつくと、嘘は留まることがありません。

l         キリストが信頼したペテロが、ヒドイ嘘をついたのです。

l         キリストと寝食を共にしたペテロが嘘をついたのです。

l         キリストに対して大口をたたいていたペテロが嘘をついたのです。

l         キリストと死ぬことを厭わないと言っていたペテロが嘘をついたのです。

 

ところで、我々は、ペテロを責めることができるでしょうか?

「鶏が鳴く前に、ペテロが三度、キリストを知らない」の話は、そんな問いかけを我々にしているようです。

「小沢一郎議員のキリスト教批判」(20091119日の本ブログ記事)に対してアメリカ合衆国の大学教員をしておられる読者よりコメントいただきました。興味ある内容ですので当該コメントを本文でご紹介します。

ジャパンタイムス誌へのご投稿、拝見いたしました。とても勇気あるご行動と思います。キリストにある者として一言、お礼を申しあげたいと存じます。しかしながら、アメリカにおける(私の知る限り)この発言の波紋はあまり深刻ではないようです。小沢氏の発言は、キリスト教批判、というよりも、ご自身の素直な宗教観を語っただけ、という受け取り方が多数です。私自身、そう思いました。しかも、仏教をキリスト教、イスラム教と並べて比較、仏教が一番すぐれている、という発言の主旨でもあり、また、あえて仏教関係者の前での発言でしたから、単に政治的な、あまり深い意味のない発言に過ぎない、というように受け取られているようですね。

彼の発言そのものは確かにばかげていますし、日本の政治に携わる重要な方の発言としてはあまりにもあぜんとさせられる内容であることは確かです。私も正直のところガッカリし、かつ、かなりの衝撃を受けました。しかしながら、彼の発言は、日本におけるごく一般の方(クリスチャンではない方)の、ごく普通の、宗教に対する自然な見方、とも受け取れるのではないか?とも思えます。従いまして、小沢氏が謝罪するとも思えませんし、一般の方の受け取り方として、小沢氏がキリスト教信者や教会に対して謝罪する理由がある、とも(恐らく)思われないでしょう。もちろん、大変に残念ではありますけれども。

もちろん、それをすべて理解した上でのご投稿でもあったのでしょう。
キリストを信ずる者が絶対的少数である国家(日本)ならではのご苦労もさぞ多いことでしょう。お察しいたします。また、日々のご苦労、心より感謝をいたします。

ぜひ、聖書にありますように、bless those who curse you, pray for those who mistreat you. (Luke 6:28) この精神で進んで参りましょう。キリスト教は排他的ではない、ということの根源の理由をこれによって必ず示すことができる、と信じます。

ありがとうございました。

在主

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