パリサイ人が切望する救世主は、ローマ人を追い払うだけの富と軍隊を持つ権力者でした。しかし、キリストはみすぼらしい身なりで、ロバに乗ってエルサレムの町に入って来た全く期待外れの男でした。そんなキリストをパリサイ人は、救世主とは認められなかったのです。そんな彼等に、キリストが神の御子であることを暗示した話がマタイ22章42節~46節に書かれています。
イエス:「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」
パリサイ人:「ダビデの子です。」
イエス:「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」
それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。
イエスの最初の質問は、当時のユダヤの社会の常識を問うたものです。ダビデの子孫から救世主が現れるは、ユダヤの社会の常識だったからです。2番目の質問は、旧約聖書の1節(詩篇110章1節-注)をキリストは引用しています。パリサイ人は、ユダヤの社会での知識階層の人々と言われていますので、キリストの質問の答は、判ったはずです。
キリストの宣教活動3年間の中の行ったしるしから、キリストは神の御子である事は、明らかですが、期待裏切る形の救世主の出現に、当時の知識人に戸惑いがあったことが判ります。頭で理解することは、比較的に容易いですが、事実を受け入れることは、難しいです。マタイ22章42節~46節の聖書の箇所を、そのように読むと信仰に対する心構えが改めて知らされます。
(注)詩篇110章1節:主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」

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