マタイの24章、25章で、イエスは、イエス自身を主人、王にたとえて弟子に「再臨の時の裁き」について説教をしました。イエスが弟子達に話したたとえ話の結末は、以下の通りです。
l (主人は)彼(しもべ)をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべは、そこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ24:51)
l 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい(と主人は言います)。そこで泣いて歯ぎしりするのです。 (マタイ25:30)
l 王はまた、その左にいる者たち(王によってヤギと仕分けされた国の民)に言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』 (マタイ25:40-43)
l こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。(マタイ25:46)
裁きの時に罰せられる"しもべ達"や"ヤギと仕分けされた国の民"は犯罪者でも、不道徳な行為をした者でも、隣人に危害を与えた者でもありません。では、何故、キリストは再臨の時にそれらの人々を罰するのでしょうか。
マタイ25:40-43の『おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』に罰せられるひとつの原因が書かれています。
キリストが空腹であった時、人は食べ物を与えるでしょう。しかし、貧しい者、困っている者が空腹であった時、それらの者を無視する人は多くいます。貧しい者、困っている者を無視した人々が裁きの時に罰せられるのです。「神はあなたと共におられる」の教えを理解すれば判ると思います。貧しい者、困っている者は、わたしでもあるのです。

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