2010年1月アーカイブ

ユダの裏切りによりイエスが捕らえられる直前のイエスは、もがき苦しみながら主への祈りをします。該当聖句を引用します。

l         それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、このをわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイの福音書第26章第39節)

l         イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬでしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」(マタイの福音書第26章第40節)

 

何故、キリストは"杯"を飲み干す必要があるのでしょうか?キリストはその理由を知っています。それゆえ、キリストは祈りのなかでもがき苦しんだのです。当時のユダヤの人々は、常識として"杯"の意味を理解したと思います。しかし、旧約聖書に精通していない者にとっては、多分、チンプンカンプンな話と思います。旧約聖書で"杯"が記述されている箇所のいくつかを引用します。その聖句がヒントとなります。

l         あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。あなたも飲んで、陽の皮を見せよ。主の右の手のは、あなたの上に巡って来て、恥があなたの栄光をおおう(ハバクク書第2章第16節)。

l         さめよ。さめよ。立ち上がれ。エルサレム。あなたは、主の手から、憤りのを飲み、よろめかす大を飲み干した(イザヤ書第51章第17節)。

l         主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らのへの分け前となろう(詩篇第11章第6)。【火、硫黄、燃える風は、神が人に与える裁きを意味しています】

l         神である主はこう仰せられる。あなたは姉の、深くて大きいを飲み、物笑いとなり、あざけりとなる。このはあふれるほどに満ちている(エゼキエル書第23章第32節。

 

引用した旧約聖書の意味する杯は、人の犯す罪が盛られる器が杯です。お酒がそそがれている杯ではないのです。マタイの福音書第26章第39節、第40節での杯は、旧約聖書で言っている人の罪で山盛りになった杯なのです。その杯を飲むことの意味することは、容易に判ると思います。キリストは、我々の罪を自分の身をもって贖いました。それによって我々は救われたのです。

聖餐式について

| コメント(0) | トラックバック(0)

「過越し(Passover)」は、ユダヤの民がエジプトの地で奴隷として苦役を強いられた時に神が守ってくれたことを忘れないための行事です。ユダヤの民にとって非常に大事な行事です。「過越し」とは、生贄(いけにえ)にした子羊の血をユダヤの民の家の戸口に付けることで、その目印ある家は、災いから神が守ってくれたことが由来となっています。生贄になる子羊は、完全無欠の子羊である必要があります。それから、生贄となった子羊の肉はユダヤの民の大事な食料になっていました。子羊の乾燥肉は、ユダヤの民がエジプトから脱出する時、彼等の命をつないだものでもありました(旧約聖書「出エジプト」を参照してください)。

キリストが「過越し」の時に、捕らえられたこと、そして、キリストが十字架の上で処刑されたことは、重要な意味を持ちます。キリストは、完全無欠な人です。その彼が処刑されたことは、まさに子羊が生贄にされたと同じ意味を持ちます。我々のために命を捧げたキリストを忘れないために行われる行事が、聖餐式(せいさんしき)です。ワインは、彼の血を現し、パンは彼の肉体を現しています。聖餐式の意味を理解すると、キリストの愛を感じることができるでしょう!

あけましておめでとう!

| コメント(0) | トラックバック(0)

あけましておめでとうございます。

13日の日曜礼拝の後、参加者は高橋悦子姉妹が差し入れしてくれたお汁粉を楽しみました。三が日は、お雑煮中心の家庭が多いと思います。でも、悦子さんの作ったお汁粉はいつ食べても美味しいです。

 

    follow me on Twitter

    このアーカイブについて

    このページには、2010年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

    前のアーカイブは2009年12月です。

    次のアーカイブは2010年2月です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

    カテゴリ

    ウェブページ

    Powered by Movable Type 4.22-ja