イエスの祈りに出てくる"杯"について!

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ユダの裏切りによりイエスが捕らえられる直前のイエスは、もがき苦しみながら主への祈りをします。該当聖句を引用します。

l         それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、このをわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイの福音書第26章第39節)

l         イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬでしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」(マタイの福音書第26章第40節)

 

何故、キリストは"杯"を飲み干す必要があるのでしょうか?キリストはその理由を知っています。それゆえ、キリストは祈りのなかでもがき苦しんだのです。当時のユダヤの人々は、常識として"杯"の意味を理解したと思います。しかし、旧約聖書に精通していない者にとっては、多分、チンプンカンプンな話と思います。旧約聖書で"杯"が記述されている箇所のいくつかを引用します。その聖句がヒントとなります。

l         あなたは栄光よりも恥で満ち足りている。あなたも飲んで、陽の皮を見せよ。主の右の手のは、あなたの上に巡って来て、恥があなたの栄光をおおう(ハバクク書第2章第16節)。

l         さめよ。さめよ。立ち上がれ。エルサレム。あなたは、主の手から、憤りのを飲み、よろめかす大を飲み干した(イザヤ書第51章第17節)。

l         主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らのへの分け前となろう(詩篇第11章第6)。【火、硫黄、燃える風は、神が人に与える裁きを意味しています】

l         神である主はこう仰せられる。あなたは姉の、深くて大きいを飲み、物笑いとなり、あざけりとなる。このはあふれるほどに満ちている(エゼキエル書第23章第32節。

 

引用した旧約聖書の意味する杯は、人の犯す罪が盛られる器が杯です。お酒がそそがれている杯ではないのです。マタイの福音書第26章第39節、第40節での杯は、旧約聖書で言っている人の罪で山盛りになった杯なのです。その杯を飲むことの意味することは、容易に判ると思います。キリストは、我々の罪を自分の身をもって贖いました。それによって我々は救われたのです。

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    このページは、村田 守弘が2010年1月24日 23:07に書いたブログ記事です。

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