2010年8月アーカイブ

復讐するは神にあり!

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新約聖書ローマ書の一部を引用します。【愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。】(ローマ書第12章第19節から21節)

 

裏切った人に対して、我々は憎しみを覚えます。そして、許しがたい時は、復讐をしたくなります。ですから、この聖書で言っていることを実行することは、非常に難しいです。復讐をするとは、正義であると考えるでしょう。むしろ、復讐しないことは、不義に通じると考えます。しかし、聖書では、何故、自分で復讐してはいけないのでしょうか?

我々は、完全無欠の立派な人間ではないです。ある意味では、敵と五十歩百歩です。我々に更なる罪を犯すことを神は望んでいないからです。

 

自分の神を信じて、神の裁きに任せましょう!「復讐するは神にあり」です。

 

ところで、彼の頭に燃える炭火を積むとは、「敵に悔い改めの気持ちを起こさせる」と解します。当時のエジプトでは、悔い改めを表すために、懺悔する人は頭に鉢一杯の炭火を乗せたと言われています。

学ぶ心を大切に!

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旧約聖書ダニエル書の一節を引用します。【そのとき、ダニエルは王の前に答えて言った。

「・・・王さま(ベルシャツァル王のこと)。いと高き神は、あなたの父上ネブカデネザルに、国と偉大さと光栄と権威とをお与えになりました。 神が彼に賜わった偉大さによって、諸民、諸国、諸国語の者たちはことごとく、彼の前に震え、おののきました。彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。 こうして、彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました。そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ろばと共に住み、牛のように草を食べ、からだは天の露にぬれて、ついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになることを知るようになりました。 その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。 それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。・・・」】 (ダニエル書第5章第18節から23節)

 

ベルシャツァル王の父上、ネブカデネザル王は、神から栄光を与えられ、バビロンの国を支配するようになります。しかし、権力を持った彼は、傲慢になってしまいました。それを知った神は、彼を獣にして荒野に7年間住まわせます。荒野での生活で、ネブカデネザル王は、神がこの世を支配していることを知り、神の栄光を讃えます。そして、彼は、再び王として復帰しました。

 

ベルシャツァル王は、父上であるネブカデネザル王の生涯を知っています。その彼が、自分の父上に起こった出来事から学ぶことなしに、神をも恐れぬ傍若無人な行為をし続けたのです。その結果、神はベルシャツァル王に対して裁きを与えます。主の宮の器を使ってぶどう酒を妻やそばめたちと飲んだ夜に、彼は、隣国の兵隊によって殺されます。

 

人は、自分の生き方を大切にしたいです。しかし、身近に起こった出来事の意味を学ばない自分の生き方は、すごく危険だと思います。ベルシャツァル王は、学ぶ心を持てなかった人に違いありません。ベルシャツァル王のように学ぶ心を持っていない人が少なからず居ります。学んで実践しないことは、時間の浪費と考えますが、学ばずして実践することは、大変危険であることをダニエル書第5章第18節から23節は、我々に伝えています。

旧約聖書ダニエル書の一節を引用します。【ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。 神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。 宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」 世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。 十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。(ダニエル書第1章第8節から第16)

 

ユダヤには、古くから「きよい動物」と「きよくない動物」の概念があります。ユダヤ人のダニエルにとっては、「きよくない動物」の肉を食べることが出来ません。しかし、ダニエルは、今、エルサレムを征服したバビロンの王のところに居ます。そこで、ダニエルが王の食べるごちそうは、"きよくない"と言ったら、ダニエルとその友の首は刎()ねられてしまうでしょう。「王の食べるごちそうは"きよくない"」と言う代わりに「自分達に野菜を食べさせてください。そして、私たちの健康状態を見て下さい」と言います。自分の信念をつらぬくため、ダニエルは知恵を使ったのです。

とかく自分の信念をつらぬこうとすると、自分の目線で考えがちになりますが、相手の目線に立つことで初めて自分の信念をつらぬくことが出来るという示唆をダニエルの行動は教えてくれます。

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